ファイナンス 2022年7月号 No.680
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バハマのCBDC利用促進のための、広報用公式ウェブサイト。*22) IMF(2022), op.cit.*23) Anti-Money Laundering and Counter-Terrorist Financing Measures – The Bahamas, Mutual Evaluation Report, CFATF, July 2017 48 ファイナンス 2022 Jul.さて、国がCBDCを導入したりその導入を検討するに際しては、金融包摂、支払・決済機能の効率性や頑健性向上、様々な目的がある。その中でも、地下資金対策上のセキュリティ向上を明確に目的として謳っている国が、前出のバハマである*22。2017年にFATF地域機関の相互審査を受けたバハマは、11の行動指標の内、過半数の6つで最低のレーティングとなる等厳しい評価を受け、グレイリストに掲載されてしまった*23。その後の改善努力が認められ、同国は2020年にリストから外されたが、CBDCの発行は、地下資金対策を更に強化するプロセスの一環として位置付けられたものである。暗号資産が経済に自生的に広まっていくのに対抗する形で、地下資金対策に配意し、強いセキュリティ上の仕様を備えたCBDCを、より利便性の高い形で浸透させることで、相反する政策目的を高いレベルで均衡させようという発想は、極めて魅力的なものに映る。他方ここにおいても、CBDCによって「地下資金対策が可能」と言った場合に、現実にどれだけの実態が伴っているのか、慎重に見極めねばなるまい。具体的には既に論じた通り、第一に、顧客管理等の「水際対策」だけでは不十分で、実際に不正が疑われる取引が行われた後での、追跡可能性までが担保されていなければならない。第二に、その追跡可能性は、アプリケーション・インターネット・実世界のそれぞれのレイヤーにおいて実現され、つまり、最終的には取引に関わる者まで辿り着けなければならない。発行当局が、ウォレット開設時にID提示を要求する等の運用をしていることを以って、地下資金対策上の問題はない旨主張していたとしても、いざ犯罪捜査等の段階になって、関連する人物に辿り着けるのかは全く別問題なのである。そして前述の通り、CBDCというのは抽象的な概念規定であって、制度的建付け及び技術的仕様の双方において、極めて多様なデザイニングが可能である。どのような設計の場合に、各々、どの程度の追跡可能性が法的・技術的に担保されるのか、今後、より詳細な検討が必要となろう。この際、常に立ち返るべきは、冒頭の掲げたトリレンマである。当然ながらCBDCの導入及びその制度設計の検討は、地下資金対策の観点のみから決せられるものではない。セキュリティの観点を徹底し、地下資金対策を可及的に強化しようと思えば、世の中のあまねく全ての取引について、一円単位まで当局の追跡可能性を確保することが望ましいことは、言うまでもない。しかし、この場合には取り扱う機関である中銀や市中金融機関等の事務負担が大きくなると同時に、個々人の日々の経済活動について、市民のプライバシーをどのように保護するのか、政府の権限への歯止めや情報流出へのリスクに対処する制度設計を如何に行うのか、といった点が問題になろう。実際、バハマの事例、そして中国のデジタル人民元においては、一定額未満の取引については匿名性が確保される制度設計となっている。これは、トリレンマのバランスをどこで均衡させるかという、極めて重い政策判断を伴うものだ。デジタル資産を巡る論点は、ともすればテクノロジーの問題として矮小解釈されがちであるが、実は技術論の先で究極的に問われるのは、我々の社会の理念に関わる、政治的な価値選択と均衡点の模索である。これは、ことによってはテクノロジーの問題以上の、厳しい問い掛けと言えよう。

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