ファイナンス 2022年7月号 No.680
43/90

プロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。専門は地域経済・金融。昨年12月に「自治体の財政診断入門」(学芸出版社)出版(出所)令和2年12月13日筆者撮影ファイナンス 2022 Jul. 39図3 北十間川の水辺 の翌年には浅草税務署管内の最高路線価地点が浅草橋に交代する。浅草の低迷は交通手段の変遷によるものだけではない。テレビの普及とともに地方都市の映画街が軒並み姿を消したのと同じことが浅草にもあった。離れた客を呼び戻すため、大通りに場外馬券売り場を設置するなど工夫したが客層は広がらなかった。その1つ、舟運とのハイブリッド運用をしていた業平橋駅だが平成5年(1993)には貨物営業を終了。旧貨物ヤードの跡地に60,000m2を上回る広大な用地ができた。平成16年(2004)、押上・業平橋駅周辺土地区画整理事業が始まる。ここで浮上したのが新タワー計画である。その後当地に東京スカイツリータウンを開発することが決定した。東京スカイツリーを中心に、階下の商業施設「東京ソラマチ」、オフィスビル、水族館やプラネタリウムを擁する複合施設である。東京スカイツリーは平成20年(2008)から3年半かけて平成24年(2012)に竣工。業平橋駅はとうきょうスカイツリー駅に改称された。今年は東京スカイツリー開業10周年。ふりかえれば周辺の街も大きく変わった。東京スカイツリータウンから浅草寺まで緑地帯が連続し、まちレベルで公園化したように見える。入込運河を通じて業平橋駅に連絡していた北十間川は街を緑で彩る公園になった。河岸に並行する高架下には令和2年(2020)、商業施設「東京ミズマチ」がオープンした。河岸に沿ってしばらく歩くと高架の北側に隅田公園が広がるのが見える。公園に面した高架下に東京ミズマチのベーカリーやカフェがあり、テイクアウトして公園で楽しめる。隅田公園は隅田川の両岸が公園区域で、関東大震災の復興事業の一環で整備された。桜と隅田川花火大会で有名だ。歩行者専用橋のすみだリバーウォークで浅草側に渡ると、河岸にタ再生した水辺の街に浅草公園を重ねる鉄道網が密で乗用車普及率が低い東京の場合、地方都市ほどの空洞化はうかがえない。とはいえ、少なくとも物流分野に車社会の影響が表れている。東京は貨物鉄道と舟運のハイブリッドの時代が比較的長く続いた。それでも昭和を通じてトラック輸送に置き換わっていき、長らく貨物鉄道の拠点だった汐留、秋葉原、飯田橋、両国、錦糸町の再開発が進む。リーズコーヒーがある。平成25年(2013)台東区との連携事業でできた都内初めての河岸オープンカフェだ。浅草は江戸情緒を楽しめるわが国屈指の観光地として活気を取り戻している。浅草駅は駅開業当時のアール・デコ様式に復元された。台東区の計数だが、新型コロナウイルス感染症が流行する前の平成30年(2018)の年間観光客数は5,583万人と、10年で1.4倍になった。うち外国人は5倍増の953万人となった。平成25年(2013)、浅草一丁目雷門通りが浅草税務署管内の最高路線価地点に返り咲く。当時は上野の26%水準だったが観光客の伸びに従って令和2年(2020)には45%まで縮まった。思えば浅草公園もそれ自体が街だった。緑のオープンスペースと周辺の商業施設、アトラクションの組み合わせが互いに好循環をもたらしている。新・旧浅草駅から見方によっては上野を含め、エリア単位で浅草公園が復活したかのようだ。

元のページ  ../index.html#43

このブックを見る