ファイナンス 2022年6月号 No.679
88/106

〈國分座長プロフィール〉國分 良成(こくぶん りょうせい) 前防衛大学校長、慶應義塾大学名誉教授ハーバード大学客員研究員、ミシガン大学客員研究員、復旦大学訪問学者、北京大学訪問学者、慶應義塾大学東アジア研究所長、法学部長を経て、2012年より2021年まで防衛大学校長。中国研究会の取組み 84 ファイナンス 2022 Jun.(国際交流課)―財務総研の中国研究会は1993年に第1回が開催され、その後、1998年以降は毎年研究会が開催されています。約30年前に、研究会が始まった当初の中国の状況や問題意識についてお伺いできますか。財務総合政策研究所では、社会主義市場経済体制の確立を目指して改革開放政策をとる中国の政治経済情勢について調査研究することを目的として、中国研究会を開催しています。今月のPRI Open Campusでは、1993年の研究会開始当初から委員をお引き受けいただき、2007年からは座長を務めていただいている國分良成 前防衛大学校長に、30年にわたる研究会の経緯や問題意識に加え、足下の日本・米国・中国を中心とした国際情勢についてお話を伺いましたので、「ファイナンス」の読者の皆様にご紹介します。(國分座長)中国研究会が始まってから約30年が経ち、振り返るには非常に良いタイミングかと思います。というのも、1989年に天安門事件が起こり、更に1991年、中国では改革開放路線の停滞に加え、国際競争力を失ったことに起因するソ連の崩壊を目の当たりにし、市場経済を今後どの程度取り入れていくのかという議論が起こっていました。そのような流れの中、1992年に鄧小平が深圳、珠海、上海といった中国の発展を促した南方を視察し、そこで大胆に改革開放を推進し、市場経済に踏み出す必要性を訴えました。この「南巡講話」は、当時、中国の巨大な変化として世界中で大きなニュースとなりました。その年の秋の第14回中国共産党大会で、「社会主義市場経済」が定義付けられるわけです。社会主義市場経済とは一体何かというと、共産党の指導、ここを前提にしながら市場経済を展開するという議論でした。ただし、力点は市場経済にあって、生産を増やすということのために海外資本を入れることは非常に良いことであり、共産党というその政治指導体制だけきっちり確保していればそれでよい、ということになったわけです。米国では当時クリントン政権が始まっていて、天安門事件を受けて「人権外交」ということを言っていたのですが、1994年には人権問題と経済問題を切り離すということを決定しました。日本の企業も、一斉に中国に進出する動きを見せました。その際に、中国はこれからどうなるのか、経済成長はどうなるのか、社会主義市場経済とは一体何だろうか、共産党指導の市場経済とは何か、このような議論が始まったのが、中国研究会開催の原点だと思っています。私はその当時、社会主義市場経済に対して、社会主義の市場経済であれば許認可権を全て共産党が持っているのだから政治腐敗が生まれるのではないか、という点を危惧していました。当時の大蔵省でも、どのように中国の経済成長に向かっていくかということで研究会を立ち上げる動きがあり、当時親交のあった方から若手の研究者として参加してほしいとのお話がありました。現代中国研究と日中関係は私のライフワークでもあるので、是非入れていただきたいということで、参加させていただきました。―初期の研究会では、研究会のメンバーが北京を訪問するなど、双方の往来を通じた中国政府機関との意見交換も行っていたと伺います。そうした研究会の活動の中で、印象に残っていることがございましたらお聞かせください。中国側が日本の大蔵省に関心があったことに加え、双方の間の人間関係もすでに繋がっていました。また、その人間関係だけではなく、組織的な関係も結構深く、当時の国家計画委員会(現在の国家発展改革委員会)や国務院発展研究センター等のシンクタンクとも非常に関係が深く、中国側が日本の経験を勉強した

元のページ  ../index.html#88

このブックを見る