ファイナンス 2022年6月号 No.679
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職員トップセミナー ファイナンス 2022 Jun. 77れていませんが、2020年4月に紐解いてみたところ我々の感覚と異なるところがあって面白いので、私が動画などで紹介した作品です。その年に江戸を襲った麻疹の状況が、一種の世相を批評すると言いましょうか、江戸で何が起きているのか、平賀源内の文体を模倣したといわれる軽妙なリズムで描かれています。不況にあえぐ人々の姿をコミカルに描く、それは日本橋あたりの大富豪、両替屋といった財政や金融にかかわる人たち、あるいは町方、町の中で富を築いた人たちが、不況になってどうすればよいかと右往左往する姿を非常に冷静に描いています。江戸時代、感染症が流行している時に出版された文学作品の大きな特徴は、滑稽味と言いましょうか、諧謔性と言いましょうか、つまり笑いをそこに向けるということがあります。現代のわれわれのメンタリティとはかなり違うところですが、この笑いを見ながら緊張の糸を緩めたり、或いは理解をする、それに乗せて人々に情報を伝えていくという方法で表現していきます。冒頭の部分を私が口語訳してみましたので、お聞きください。「今年の夏あたりから男も女も関係なく、三十歳ばかりの人々が次々とこういう歌を歌っている。寝るのはもったいない。早く医者の薬が効いてほしい。昨日も今日も麻疹に悩ませられるばかり。うめきながら、彼らが飲むもの、食べるもの、まるで味がしない。ひとりぼっちで体調が回復するまで12日間を、指を折って布団の中で待つ以外ないのである。その状況は偉い、偉くないの区別もなく、一番上の方は玉の御簾の内、その隙間から漢方薬の匂いが炊き込められた伽羅の香りと共にぷんぷんと匂ってくるし、下々では馬の世話をする下男まで、咳でハスキーな声を作って、それは似合うといえば似合うけれど、止めても止まらない咳でだいぶ苦しんでいる様子。」原文では、これは七五調で書かれており、非常にリズミカルな、ちょっとヒップホップのラップのような、すぐに覚えられて、耳に入りやすい調子で描かれているわけですが、この作品から読み取れることがいくつかあります。(4)仮名垣魯文「安政午秋/箇労痢流行記」幕末1857年にコレラが江戸に入ってきます。冒頭お話した日本古典文学の中に感染症が現れる3つのパターンの3つ目、情報を発信する媒体としての文学があるわけですが、このコレラの情報を人々に伝えるべく、仮名垣魯文という有名な戯作者であり明治初期に日本の新聞を盛り立てるジャーナリストにもなった人物が「安政午秋/箇労痢流行記」を書いています。1つ目は、体調が回復するまでに12日間とあることです。私たちも職場や公共空間からの隔離、療養期間を設けていますが、江戸時代も全く同じ仕組み、あるいは世間知というものがあって、10日間から12日間、熱が下がってから3回くらいそれをチェックして、大体10日間ぐらい、社会に復帰するまでの時間の隔たりを作るということです。2つ目は、感染症は貴賤を問わない、ということです。偉い人もそうでない人も患ってしまうことが書かれています。コレラは3日間でコロリと死んでしまう、ということで「箇労痢」と呼ばれました。この作品では、江戸の中で何が起きているのかということを様々な地域のエピソードを織り込みながら、コレラからどうやって身を守るかという情報、アドバイスが書かれています。本を開きますと、錦絵の技術で印刷された大変鮮やかな口絵が描かれています。この口絵に描かれているのは隅田川の向こうにある、江戸の3つあった焼場の一つです。そこでは男たちがコレラで亡くなった方々の遺体を粗末な板で作った桶で次々と焼場に運び、焼場の役人が、だれがどこの寺から来たのかを必死になって書き込んでいる、つまり遺体処理が間に合わないという状況が描かれています。壁の向こうには濛々と荼毘の煙が上がっています。まとめこのように、感染症は江戸時代、或いはそれ以前から日本の文学そのものの発生、様々な作品、名作が生み出される原動力、契機として働いたのです。それと同時に、一般の庶民の中に出版物、つまり文字媒体で情報が行き渡る18世紀、19世紀にまで下ってきます

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