ファイナンス 2022年6月号 No.679
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8. 古典に描かれた感染症をユーチューブで発信9.江戸時代の人々と感染症(1)感染症に対する生きた経験値 76 ファイナンス 2022 Jun.(2)■飾北斎「須佐之男命厄神退治之図」(3)式亭三馬「麻疹戯言」コロナウイルス感染拡大に対処するため、2020年4月、私は国文学研究資料館の全職員に在宅勤務を指示しました。施設のこともあったので、私は管理部の何人かの人たちとほぼ毎日研究所に出勤していました。ガランとした収蔵庫の中で、私は、古典に感染症のことがたくさん書かれていることを伝えなければならないと思い、信頼している映像作成ユニット会社に発注して、台本なしで25分ほどの動画を日本語と英語で作りました。そして、その日のうちに国文学研究資料館のユーチューブチャンネルから発信すると、すぐに出版社から「これを本にしてください」という依頼が来たのです。そこから約10か月かけて14人の研究者に声をかけ、「日本古典と感染症」という本を角川書店のソフィア文庫から出版しました。非常にたくさんの、特に若い方に読んでもらっているようです。この本は、時間をかけて万葉集から夏目漱石まで、研究者たちと共同研究を行い、その成果を一冊の本としてまとめたものです。江戸時代の人々の生活は文字通り病と隣り合わせでした。19世紀前半当時、人口が世界一であった江戸では、障子一枚、一枚の座布団と言われるように「隣り合わせの生活」が生活様式の基本で、麻疹や天然痘、コレラなどの感染症が周期的に流行して、その恐怖が人生の中で数回訪れることがありました。これは非常に重要なことで、感染症の歴史を研究しているある研究者の発表によれば、江戸時代、平均して24年ごとに麻疹が大変大きな流行になっていたことが解明されています。平均寿命が仮に50歳程度だとすれば、一人の人間が一生のうちに数回麻疹の流行を経験することになりますので、麻疹という感染症に対してどのような備えをしなければいけないのか、何が起きるのか、生きた経験値のようなものがあるわけです。これは現代の、特に先進国で暮らす我々との大きな違いです。災害に対するリアルの、アクチュアルな記憶と備えが社会の中にシステムとしてありました。当時、感染症が町を襲うと、人々は俊敏に流行を察知して行動を変容させていました。劇場も「夜の街」も客がいなくなって閑散とするのです。つまり奉行所などの行政機関から営業停止を命じられるのではなく、それぞれの仲間、業界の中で様々なガイドラインのようなものを作って、客がそのことを知って行かなくなるという社会がありました。芝居に足を運べないときは、一人或いは少人数で「芸で遊ぶ」ということも江戸時代の人々は知っていました。数年前に開館したすみだ北斎美術館を訪れると、最初に出会うのが、見上げるような大きな絵です。これは、近所に暮らしていたよしみもあって葛飾北斎が86歳の時に描いた絵を複製したもので、関東大震災で焼失してしまう前に墨田区の牛嶋神社に掛けられていました。牛嶋神社には須佐之男命が祭られていて、これは感染症から守ってくれる神様だということで、江戸では感染症が起きると、多くの人がそこに祈願に訪れます。絵馬には数十人の疫鬼が描かれていて、須佐之男命とその眷属が鬼たちを抑えている姿が描かれています。ここで注目していただきたいのは、撲滅するとか徹底的にやっつけるというのではなく、絵の右側に描かれた、杖にもたれて立っている須佐之男命が、一番左下に描かれた鬼に「これ以上暴れない」という約束をさせているところです。つまり共存するのです。病原というものは完全にはなくすことができないので、いかにそれと共存するのか、「With病原」という一つの世界観を一枚の絵から読み取ることができます。江戸で麻疹が流行した最中に出版された戯作、「麻疹戯言」をご紹介します。文字面を見ると「麻疹の戯れごと」と読めるわけで、コロナ禍にいる我々からすると、ぞっとする、こんなふざけたタイトルはないと思いますが、「浮世床」「浮世風呂」という有名な小説を書いた式亭三馬が、いわば流行に当て込んで際物的に享和3年(1803年)に江戸で出版したものです。この作品はほとんど知ら

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