ファイナンス 2022年6月号 No.679
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5.飢饉と日本古典6. 国文学研究者と他分野研究者との共同研究 74 ファイナンス 2022 Jun.(3)様々な説を並存させて残しておく(1)貝原益軒「大和本草」(2)阿部檪斎「豊年教種」(1)江戸時代の料理の再現れているなど、非常に実用的な内容になっています。士農工商といった当時の身分制度が日常の物質的な文化に色濃く投影される中で人々が生きていたということが基本的な状況としてあります。江戸時代あるいはそれ以前の時代の書物を扱う時に、あるいは役立つかもしれない情報を私たちがそこから取り出す時に知っておかなければならないことは、スクラップ・アンド・ビルドで知識を更新していくのではなくて、様々な説を併存させて残しておくということです。国文学研究資料館に、17世紀の前半に京都で出版された万葉集20冊が所蔵されています。江戸時代の人々が万葉集を読むときには基本的にこのテキストを使っていました。寛永二十年の本が幕末までずっと同じ版木を使って増し刷りされ、配られ、売られ、読まれていたわけです。これを詳しく見ていくと、行間あるいは上欄に、手書きでたくさんの書き込みがあります。17世紀の契沖や幕府に仕えた学者の北村季吟、上方の小説家で国学者の上田秋成などが行ったそれぞれの書き込みを、後の読者が丁寧にそれを写して併存させています。令和という年号の由来となった「梅花歌三十二首并序」という漢文の序文では、様々な人が説を唱えています。「令」という文字は「今」ではないか、「月」という文字は「日」ではないか、つまり「今日」ではないか、というように様々な説が書き込まれていて、その中から世代ごとに学問、知識が堆積され、伝わっているという興味深い特徴があります。福岡藩の藩医である貝原益軒が書いた「大和本草」は江戸時代においてロングセラーでしたが、これは中国の「本草綱目」に基づきながら、日本固有の様々な自然物、動植物、ミネラルなどを実際に調べて、貝原益軒やその一門が写実的な絵とともにそれぞれの性質を漢文或いはカタカナ交じりの文章で書いています。「大和本草」が書かれた後に、天明の大飢饉、天保の大飢饉が全国的に起きるわけですが、飢饉のとき、人々は「大和本草」をまずひも解きました。どういう植物が代替食物として使えるのか、という非常に実践的な応用が見込めるものとしてこの本が注目されました。天保の大飢饉の最中に江戸で出版され、無料で配布された救荒書、つまり飢饉のときのサバイバルマニュアルとでもいうべき「豊年教種」という本があります。これは阿部檪斎という本草学者が出版して身銭を切って配ったものです。中身を見ていきますと、先ほどお話しした「大和本草」から引用した植物の図を入れて、江戸周辺の里山や空き地に生えている、食べても大丈夫な植物、食べるための灰汁抜き方法、絶対食べてはいけない植物、といった様々なことを紹介しています。例えば、「ハシリドコロ」というどこにでも生えている植物がありますが、これには向精神作用があって、食べ過ぎると意識障害をきたす危険なものであると注意を促しています。「豊年教種」は、お米や生鮮食品が買えない大都市の住人が生き抜くための生きた知識を、ほぼ百数十年前に描かれた「大和本草」を参考にして紹介しています。歴史から学ぶことを江戸時代において実践しているのです。国文学研究資料館では、このように江戸時代に積み上げられた様々な知見を活用して他分野の研究者やあるいは業者たちと共同研究を行うことによって、資源活用を推進しようとしています。2017年9月、ちょうど私が館長になって数か月後に、銀座三越と日本橋三越本店に入っている老舗料理店約17件の料理人と味の素食の文化センターと共同研究を行い、デパートの地下で江戸料理のフェアを行いました。崩し字で書かれていて、だれも今では読み解けない江戸時代の料理本を読み解き、200年、300

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