ファイナンス 2022年6月号 No.679
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職員トップセミナー ファイナンス 2022 Jun. 732. 日本古典文学の中に感染症が現れるパターン3.コロナ禍と国文学研究資料館東京都立川市にある国文学研究資料館は、重要文化財を複数保有し、たくさんの原資料や非常に貴重な複製、研究情報を収蔵していますので、全世界から研究者が訪れます。(1)図像の要素が非常に多い(2)大きさ、外形と中身の間の高い相関性が描かれています。その途中で見つけた少女、それがのちに最愛のパートナーとなる紫の上でした。日本古典文学の中に感染症が現れる際にはいくつかのパターンがあります。1つ目は、物語を描く原動力が作者に生じる場合です。一つの出来事としての感染症が、文学的な記述を生み出す力になることがあります。2つ目は、源氏物語のような虚構の中で、人物の出会いや別れ、あるいは戦の突破口になる、つまり小説の中の筋、ストーリーを運んでいくうえで感染症が重要なものとして描かれている場合です。3つ目は、人々に感染症のリアルを伝える場合です。平安時代や鎌倉時代においては、印刷技法が確立しておらず、すべて作品は手書きで人から人へと伝わっていく世界でしたが、17世紀の初めから中ごろ、寛永年間あたりから商業ベースで木版による出版物が日本で普及し始めます。さらに18世紀初め、享保の改革あたりから津々浦々に本屋、貸本屋、印刷業者が現れ、人々の間で一種の読書熱、読書欲が盛んになります。人々の識字能力が上がっていくと、感染症についての情報が出版物の中に、特に私たちが文学と呼んでいる著作の中に多分に書き込まれるようになりました。今の言葉で言うと自然災害、その災害に対してどのような備えをすればよいのかを人々に伝える、あるいはそれを記録として次の世代に継承させる、そうした明らかな意図があって、情報として感染症を文学の中に書き込むということがなされました。しかし、コロナ感染拡大に伴い、2020年3月、ギャラリーや図書館あるいは共同研究、出張などを停止する決断をせざるを得ませんでした。その時に、私たちは「古典籍」、つまり明治以前の時代に手で書かれたり、あるいは木版技術によって印刷され流布した著作物を電子化して、様々な研究資源あるいは文化資源として活用できないかと考えました。コロナ禍で人々の学習機会が極めて限られ、奪われてしまった状況下で、私たちが半世紀の間に蓄積してきた情報を、日本語で、そして多言語化させて供給することを考えました。18世紀や19世紀に京都や江戸で出版された本は、中国、朝鮮半島あるいはヨーロッパの同時代の書籍と比べて、図像の要素が非常に多いことが特徴です。また、図像と文字が分節されておらず、文字が図像を解説し、図像が文字を補う相関性が認められることが日本の古典籍の大きな特徴の一つです。もう一つ、古典籍は大きさ、外形と中身との間に高い相関性があるという特徴があります。大本とか半紙本といった大きい書型になるほど、中身が時代とともに生き続ける、継承されるべきもの、今の言葉で言うなら古典、すなわち生き続ける知識や内容になるわけです。逆に本の書型が小さくなるにつれて、通俗的な際物的な、その時その場の必要な情報が含まれています。横に長いものは武鑑、すなわち各藩の家紋や、指物の模様、大名行列がやって来た時にどの家中の武士なのかを江戸の町の人々が識別できるような情報が描か4.古典籍とは「古典籍」とは、9世紀から19世紀に積み上げられた日本列島の「古典知」を大量に含んだありとあらゆる書物のことですが、一枚一枚の村の文書もあれば、大福帳のような町方の商人の記録もありますし、様々な歴史記録、歴史資料があります。本としてとじたものや巻物など様々な装丁がありますが、読むもの、つまり備忘録や記録としてとどめ置く役割だけではありません。当時は音読が基本でしたので、声に出して読んで周囲の人々に情報や情緒、笑いを伝えるもので、江戸時代以前の日本においては、それは文学と言えます。

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