ファイナンス 2022年6月号 No.679
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(日本文学研究者 早稲田大学特命教授 早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)顧問)その春、世の中いみじうさはがしうて〜感染症と日本古典の結びつきについて〜 72 ファイナンス 2022 Jun.令和4年2月28日(月)開催講師演題本日は感染症について日本古典を通じた学び、日本列島の歴史的経験に基づきながら、それを超えるかたちでの普遍的な学びについてお話ししたいと思います。ら具体的な事例を挙げてお話しします。日本最古の歌集である万葉集以降、感染症がそれぞれの作品や作者、あるいはそれを受け止める当時の社会に深く刻み込まれていることが、この2、3年、我々の研究で明らかになってきました。例えば、上総国の国府(現在の千葉県市原市の付近)に中央から派遣された役人の娘である菅原孝標女が11世紀に記した「更級日記」というものがあります。この「更級日記」が書かれることになった原動力が感染症であった、ということが、コロナ発生以来、研究者の間でかなり話題になっています。はじめに来日以来この1年間を除き、私はずっと国立大学に奉職し、特に昨年3月までは大学共同利用機関の国文学研究資料館の館長を4年間務めました。まだ全世界的に収束を見通すことができないコロナ感染に関して、日本古来の、日本固有の歴史的経験から私たちはどのようなことを学べるのか、その知見をどのように生きた学問として人々の生活の中での心の支えにしていくことができるのか、そのことを国文学研究資料館の館長として、一人の研究者として、私はずっと考えてきました。1.「更級日記」と感染症まずは義務教育の中で学んだ、なじみの深い古典か「更級日記」の冒頭の箇所を読み上げますと、「その春、世の中いみじうさはがしうて、まつさとの渡りの月かげあわれに見し乳母も、三月ついたちに亡くなりぬ。せむかたなく思ひ嘆くに、物語のゆかしさもおぼえずなりぬ。」とあります。50代に差し掛かり、みちのくの入り口である今の関東地方から京都に帰った女性が、自分の人生を振り返って書いたのが「更級日記」ですが、この日記をなぜしたためるのかについて最初に「世の中いみじうさはがしうて」と書いてあります。作者である50代の女性が自分の人生を振り返り、自分にとって最も大切な支えであった乳母が感染症で亡くなったことを書いていますが、ここで注目していただきたいのは、「いみじうさはがしうて」という言葉が出てくるところです。源氏物語においても和泉式部日記においても、9世紀から11世紀における王朝文学時代の日本のかな文学において「いみじうさはがしうて」という言葉が一つのキーワードになっていて、世の中が感染症で大変騒がしくなっている、ということです。「更級日記」の作者である菅原孝標女は大変ふさぎ込み、何もできない状況で京都に帰るわけですが、彼女の母が物語などを方々からかき集めて菅原孝標女に見せると、自然と心が平らかになっていく。そこで源氏物語を見つけて読んで、自分も紫の上の話をはじめ、源氏物語に描かれているその人物の生き様に触れて生き続ける勇気を見出す、ということになるのです。紫式部が書いた源氏物語においても、光源氏が瘧病(わらはやみ)、今でいうマラリアを患って京都の北山にいる大変徳の高い僧侶のところに祈祷に出向く場面職員 トップセミナーロバート キャンベル 氏

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