ファイナンス 2022年6月号 No.679
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*10) 同法第19条第1項は、以下について没収できるものとしている。(1)犯罪行為を組成した物、(2)犯罪行為の用に供し、又は供しようとした物、(3)犯罪行為によって生じ、若しくはこれによって得た物又は犯罪行為の報酬として得た物、(4)前号に掲げる物の対価として得た物*11) 同法第248条 *12) 日本刑法学会編『刑法講座 第1巻』有斐閣、1963年5月、「没収」(伊達秋雄) *13) 例えば、殺人の凶器として使われた日本刀を、収集家が事情を知った上で譲り受けた場合には没収の対象となるが(第三者没収・刑法第19条第2項)、田口守一『刑事訴訟法』P.117-122日本刑法学会編『刑事法講座 第3巻(刑法III)』有斐閣、1952年9月15日、「没収」(植松正)これは、没収の保安処分的側面の表れと言える。*14) 町野朔・林幹人編『現代社会における没収・追徴』信山社、1996年2月28日、第1章(山本輝之) *15) 同法第11条大谷實『新版・刑事政策講義』弘文堂、2009年4月15日、P.147-152ファイナンス 2022 Jun. 63図表3:刑罰である没収の限界と、その制度的解決策としての、行政処分的な犯罪収益剥奪(概念図・筆者作成)いている。具体的に言えば刑法は、当該犯罪を組成した物や供用物(例えば、犯罪の遂行に用いた凶器)等と並び、そこから上がった収益も没収できることとしている*10。そして、現在はこの制度が、犯罪収益剥奪のための最大のツールになっていることは事実だ。しかし、これは被告人が有罪判決を受けたことを前提とした「付加刑」であり、れっきとした刑罰の一類型である。このような刑罰としての没収を、組織犯罪の収益剥奪のツールとして用いる際には、以下の2つの問題が不可避的に生じてしまう。まず第一に、法理として有罪判決が没収の前提となってしまうことである。逆に言えば、実際は有罪が明らかでありながらも被告人が不起訴処分になったり、違法性まで認められつつも責任能力を欠いて無罪となったりすれば、その犯罪に付随した収益も没収することはできない。特に、我が国の刑事訴訟法は、検察官に公訴に係る広い裁量を認めており、犯人の性格・年齢・境遇や情状等を踏まえて、多くの事案が実際には不起訴処分になる*11。これは、犯人の更生等の観点からは合理性を有するかも知れないが、それによって犯罪収益を剥奪する機会が失われてしまうことには、大きな問題がある。第二に、当該犯罪と没収対象の収益との間に、厳密な紐付けが求められることだ。これも没収を刑罰として考えれば当然の帰結であるが、組織犯罪の収益剥奪という観点からは、非常な不便を生じる。暴力団を想定すれば明らかであるが(第2章参照)、多くの犯罪組織は、違法・合法取り混ぜて様々な収益源を有しており、これらの収益はしばしば混和してしまい切り分けが難しい。当該有罪判決を受けた犯罪と没収対象との関連性の立証を厳しく問われることで、現実には、収益剥奪という刑事政策上の効果は大きく減殺されてしまうのだ。このように、現在の没収はそれが刑罰であるが故に、組織犯罪の収益剥奪という刑事政策目的に正面からアドレスするものではなく、あくまでそれを実行した個人に焦点を当てた制度である。ヒトではなくカネを追うという、マネロン規制を中核とした組織犯罪防圧のための政策的ツールとして用いるには、そもそもの立脚点が違うことは、十分に認識せねばならない。アカデミアにおいては伝統的に、日本の刑法における没収には、刑罰的側面に加え保安処分的側面があるという説明がなされてきた*12。没収は刑罰であると同時に、事件の再発防止という点にもその趣旨がある、という理解である*13。実際、そのような保安処分的側面を重視した上での、没収制度の強化も行われてきている*14。典型的には、刑法における一般的な没収の規定が裁判所の裁量事項とされているのに対し、麻薬特例法においては、没収は必要的(義務的)なものとされていることが挙げられる*15。これは、麻薬犯罪がほぼ例外なく組織犯罪であることから、その収益の再投資を防ぐという保安処分としての没収を定めたものと言えよう。しかし、現行制度を如何に既存の建付けの枠内で強化しようとも、没収が被告人というヒトに着目した刑罰であるという根幹は変わらない。そしてそうである以上、起訴及び有罪判決の有無により、本来個別のヒトとは切り離されるべき犯罪組織のカネの剥奪可否までもが引きずられてしまうし、組織の混和した財産に手を付けることも困難になってしまう。繰返しになるが、存在するのはあくまでヒトに対する刑罰としての没収であり、刑事政策的措置としての、犯罪

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