ファイナンス 2022年6月号 No.679
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プロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。専門は地域経済・金融。昨年12月に「自治体の財政診断入門」(学芸出版社)出版ファイナンス 2022 Jun. 59図4 上古町商店街(令和元年12月19日筆者撮影)店が開業。2年後に新潟三越エレガンスが出店した。昭和59年(1984)には新潟伊勢丹が万代シテイに出店。ダイエーは平成17年(2005)に閉店したが改装を経て平成19年(2007)にラブラ万代となった。亀田バイパス沿線以外にも平成15年(2003)にアピタ新潟西店(売場面積29,436m2)、河渡ショッピングセンター(同24,046m2)が開店している。以上5店が市内の売場面積5傑で、亀田バイパス沿線3店と合わせ10年足らずで郊外に売場面積が16万m2増えたことになる。古町界隈が受けた衝撃は大きかった。平成22年(2010)に大和百貨店が閉店。かつて最高路線価地点の目印ともなった北光社書店が112年の営業を終えた。ラフォーレ原宿は売場を縮小しつつ営業を続けていたが、平成28年(2016)に撤退。そして令和2年(2020)には新潟三越が閉店した。近代以来の商業中心地だった古町界隈から百貨店が姿を消した。商業機能の郊外移転の背景には車社会とそれに合わせた道路開発の歴史があるが、思えばその流れは昭和30年代に遡る。古町界隈を中心とする新潟旧市街にイザベラ・バードが感嘆した運河網は既にない。昭和39年(1964)の新潟国体前までにすべて埋め立てられた。せめて西堀(寺町堀)は柳都新潟のシンボルに残そうという議論もあったが、当時ならではの事情があった。地盤沈下で水量が減り、水面のよどみが目についた。放置すれば伝染病のリスクがあるし、まずは見た目が亀田バイパス沿線の発展と柳都の再生平成6年(1994)、三越と大和の西堀交差点に19階建の高層ビル「ネクスト21」が完成。下層の商業棟にラフォーレ原宿が開店した。その一方、古町界隈に万代エリアの次の新たな脅威が登場する。郊外の大型店である。平成6年に北陸自動車道が新潟亀田ICまで延伸。市街地と連絡する亀田バイパス沿いに郊外店が増えた。時代を経るほど店舗は巨大化し、平成12年(2000)にアピタ新潟亀田店(売場面積37,462m2)、平成14年(2002)にはアークプラザ新潟(同35,634m2)が開店した。平成19年(2007)には当地で最大のイオン新潟南ショッピングセンター(同41,699m2)が出店。3店合わせて11万m2となるが、これは古町に万代エリアを加えた大型6店に匹敵する。よろしくない。それ以上の理由が旧市街の交通渋滞だった。舟運の時代が終焉し道路交通が取って代わった。火災や震災の度に焼失したこともあって古き美しき新潟の街並みは失われている。もっとも旧市街の区画は比較的保たれており、古地図片手に運河跡や小道を探索するのが楽しい街だ。図1の旧新潟税関は現在、新潟市歴史博物館みなとぴあの一部になっている。税関敷地の正面が元々信濃川に面していたこと、脇に早川堀が走っていた史実を反映し、岸壁と荷上場そして堀が復元されている。水路脇は柳並木になっており、かつて柳都と呼ばれた新潟の街並みを、ほんの一端ではあるがイメージできるようになっている。平成26年(2014)には早川堀につづく道路が4車線から2車線に減幅され、旧流路にわたって堀が復活した。商店街のシャッター化が進んだが、通りの端のほうから新たな店が増えてきた。古町通であれば白山神社に近い方、一番町から四番町の上古町商店街、通称「カミフル」がある。散在する老舗の間に個性的な雑貨店、アパレル店が増えてきた。もうひとつが信濃川対岸、沼垂地区の沼垂テラスである。昔ながらの長屋形式の商店街はいったんシャッター化したが、「大佐渡たむら」の若き支配人が「Ruruck Kitchen」を平成22年(2010)に開店。その後、空き店舗を長屋ごと買い取り、改装のうえ出店希望者を誘致する再生手法に取り組んだ。今では個性的な店が揃う注目スポットになっている。

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