ファイナンス 2022年6月号 No.679
61/106

(出所)筆者作成 ファイナンス 2022 Jun. 57図2 市街図銀行と長岡市が本店の北越銀行が合併して発足した。ここは元の第四銀行の本店で、開業以来東堀通に面していたが、増築を経て本町通にも面するようになった。第四銀行は明治6年(1873)末、県内屈指の大地主、市島徳治郎ら12名が発起人となって設立された。開業は翌年初である。制度発足時に認可された5つの国立銀行の4番目である。明治29年(1896)年、国立銀行の営業満期に伴って「新潟銀行」となった。第四銀行に戻したのは大正6年(1917)である。もう一方、北越銀行の前身は六十九銀行と長岡銀行である。明治17年(1884)に進出した第一国立銀行新潟支店の営業を明治38年(1905)に譲り受けた。支店は上大川前通八番町にあった。長岡銀行の新潟支店は大正8年(1919)に古町通六番町にできた。本町通七番町とその一筋東の上大川前通が当時の経済中心地で銀行も多かった。大正3年(1914)、日本銀行の10番目となる新潟支店は上大川前通に出店。また、この通りには前身の米商会所を含めれば明治21年(1888)から平成12年(2000)の廃止まで新潟証券取引所があった。昭和42年(1967)に同じ通りで移転したが、移転先の建物は元々新潟銀行の本店でギリシャ神殿風の列柱がシンボルだった。新潟銀行は新潟商業銀行を前身とし昭和18年(1943)に第四銀行に合併された(第四国立銀行が改称した新潟銀行とは別)。昭和41年(1966)、最高路線価が柾谷小路を挟んで百貨店の隆盛と古町通本町通に次ぐ地ぐらいの古町通だったが、両者の関係は大正末期に入れ替わる。大蔵省の土地賃貸価格調査事業報告書によれば、大正15年(1926)において市内で最も賃貸価格が高かったのが古町通六番町だった。時代を経て古町通は本町通を引き離す。昭和32年(1957)の路線価をみると、古町通六番町で坪145千円だったのに対し本町通は最も高い六番町で坪72千円だった。30年で古町通が本町通の倍になった。なお昭和35年(1960)における最高路線価地点は「北光社書店前古町六番町通」である。明治31年(1898)開店の、新潟を代表する老舗書店だ。

元のページ  ../index.html#61

このブックを見る