ファイナンス 2022年5月号 No.678
84/88

〜雲仙岳災害記念館「がまだすドーム」〜自然の驚異と災害の教訓を風化させることなく後世へ残しながら、火山や防災、ジオパークまで、幅広く学ぶことができます。「がまだす」とは、島原地方の方言で「がんばる」という意味です。島原半島南東部の海に面した丘陵に立地しており、別名を日暮城、春城と呼ばれました。しかし、総大将「天草四郎」を含む約三万七千人の方が亡くなったといわれる島原の乱の主戦場となり、幕府から徹底的に破壊されたため、城そのものを見ることはできません。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として世界文化遺産に登録されています。春から夏にかけては緑豊かになるなど、四季折々の表情を見ることができます。具雑煮とは、島原半島地域で正月などに食べる独特な雑煮のことです。由来は、島原の乱のとき、天草四郎が信徒達と共に原城に籠城した際、もちを兵糧として貯えさせ山や海からいろいろな材料を集めて雑煮を炊き、栄養をとりながら約3ヶ月も戦った時のものと言われています。農林水産省の「農山漁村の郷土料理百選」に選定されています。〔武家屋敷〕〔雲仙岳〕〔原城跡〕〔具雑煮〕 80 ファイナンス 2022 May.4 グルメ置した、安土桃山期の築城様式を取り入れた壮麗な城で、島原の乱の舞台にもなりました。また、江戸時代から残る高く頑丈な石垣と水堀が特徴で、水堀には、明治時代に食用として植えられたレンコンが根付いており、夏になると一面の緑の葉の中からハスの花が美しく顔を出します。「日本100名城」にも認定されています。島原城西側に残る下層武士の屋敷跡。鉄砲を主力とする徒士(歩兵)部隊の住居であったため、鉄砲町とも呼ばれています。街路の中央の水路は豊かな湧水を引いたもので、生活用水として大切に守られてきました。現代になっても地域住民が水路を大切に扱い綺麗に保存され、島原を代表する水の名所となっています。雲仙岳は、妙見岳、国見岳、普賢岳など三峰五岳から成る火山群の総称で、主峰は普賢岳、平成2年に200年振りに噴火し、島原市や南島原市に甚大な被害を与えました。このとき吹き出した溶岩の山(溶岩ドーム)は、それまで最高峰だった普賢岳より標高が高くなり「平成新山」と命名されました。現在は、火山活動が下火になったと見なされ登山解禁となっており、1~2月の霧氷や5月のミヤマキリシマ、秋の紅葉といろいろ楽しめます。

元のページ  ../index.html#84

このブックを見る