ファイナンス 2022年5月号 No.678
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ファイナンス 2022 May. 51図3 大門町の現在(令和4年3月8日に筆者撮影)プロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。専門は地域経済・金融。昨年12月に「自治体の財政診断入門」(学芸出版社)出版 野若里店は五輪会場「ビッグハット」の隣、長野五輪のプレスセンターだったところだ。ダイエー撤退後はケーズタウン若里となった。長崎屋の新長野店はMEGAドン・キホーテに業態転換し現在に至る。だからといって権堂町や新田町交差点の商業集積の衰退が他の都市に比べ緩やかかといえばそうでもない。権堂町はシャッターを閉めたままの店が増え、唯一のイトーヨーカドー長野店も令和2年(2020)に撤退しそして再び大門町郊外化が進む一方、駅前は若者をターゲットにした業態が増えてきた。長崎屋は郊外出店と同時に旧店を閉店。跡地はファッションビル「ショッピングプラザagain(アゲイン)」となった。新田町交差点に目を向けると、長野そごうは100円ショップを導入するなどコンセプト転換を図ったが薬石効なく平成12年(2000)に破たん。同じ年にダイエー長野店が閉店した。かつて当地に出店した大型店4店が表参道から姿を消したことになる。ダイエー長野店はいったん空き店舗となったが平成14年(2002)に長野市が取得。平成15年(2003)に「もんぜんぷら座」として再オープンする。ところで昨年秋(令和3年)、イオンモール須坂(仮称)が令和6年(2024)、須坂長野東ICの麓に開店する旨が公表された。158,000m2の敷地面積を踏まえれば相当大きな店舗になる見通しだ。逆にいえば、長野には、従来の中心商業地の合計を上回るレベルの超大型ショッピングモールがなかった。郊外化は進んでいるが、個々の店舗をみれば駅前の百貨店を上回る規模でさえなかったのだ。リノベーションが進み、表参道の大門町から後町の坂道に沿って町家、近代建築が織りなす独特のクラシカルな風景ができつつある。マンションの下層階が町家風なのもおもしろい。長野は大門町、権堂、新田町交差点から駅前そして郊外に賑わいが移転してきた歴史だが、一周回って最も古い街から再生が始まっている点、興味深い。最盛期に比べれば人通りは減ったのかもしれないが、観光そして住まう観点で街の魅力は高まっている。た。表参道のアゲインも今年7月(令和4年)に閉店予定だ。中心商店街の衰退の理由は広い駐車場を抱えた郊外大型店の出店だけではないと考えさせられる。しかし視点を変えれば再生の兆しも見えてくる。明らかなのが大門町界隈だ。中心地の座を明け渡してから2世代以上の時間が経ったが、修景が進み、善光寺をコアとした観光の街、そして住まう街としての地ぐらいが向上している。図3は最近の大門交差点の写真である。中央に八十二銀行大門町支店がある。表参道に沿って向こう側にある洋館が御本陳藤屋旅館である。創業1648年で長らく宿場町の本陣を務めた。明治以降はホテルに転じ、大正14年(1925)築のアールデコ様式の建物は国の登録有形文化財である。今はTHE FUJIYA GOHONJINとしてレストラン、ウェディング事業を営んでいる。写真の手前に見える和風建築は「ぱてぃお大門 蔵く楽ら庭にわ」の一部だ。元々あった土蔵や町家をリノベーションした商業区画で、カフェ、レストランはじめ15店が出店している。長野商工会議所を中心に長野市、商店街、地元企業等の出資で設立された第三セクター「まちづくり長野」が仕掛人だ。もんぜんぷら座の1階、「TOMATO食品館」も運営している。

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