ファイナンス 2022年5月号 No.678
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5恩給金庫の廃止から恩給担保法の制定へ戦前の国家総動員体制の整備という潮流にも乗り、経営を開始した恩給金庫であったが、敗戦に伴い、その情勢は大きく変わってしまう。すなわち、連合国軍総司令部(GHQ)が旧軍人軍属の恩給を廃止したことや、国民金融公庫が誕生したことに伴い、昭和24年に恩給金庫は廃止となったのである。ファイナンス 2022 May. 25恩給担保貸付の原則廃止にあたって フヤウナモノヲ持ツ程度ニ至ツテオリマセヌノデ、一朝不慮ノ災厄ニ遭遇シ、又ハ疾病ニ罹ルト云フヤウナ、不時ノ失費ヲ必要トスル場合ニ於キマシテハ、已ムヲ得ズ之ヲ担保ニ供シテ金融ヲ受ケルト云フ者モ少カラザル実状デアルノデアリマス…其弊害甚シク、何トカ恩給受給者ノ生活安定上、適当ナル方策ヲ講ゼラレタシトノ要望ガ少クナイノデアリマス、加之、老幼者及ビ廃疾者等、最モ救済ヲ必要トスル者ハ、金融ノ途ヲ途絶サレテ居ル実状デアリマス、…政府ハ之ニ対シ種々適当ナル方策ヲ攻究致シマシタ所、政府自身積極的ニ金融機関ノ設立ヲ企画シ、従来ノ弊害ヲ除去スルヲ以テ、最善ノ方策ト認メタノデアリマスガ、政府自ラ全部ノ資金ヲ支出シ融通ヲ行ヒマスコトハ、今日ノ財政状態ヨリ見テ困難ナル事情モアリマスノデ、資金ノ一部ヲ政府負担トシ、更ニ民間ノ資力ヲモ取入レ、政府ハ之ニ十分ナル保護監督ヲ加ヘテ、政府自ラスルト略同様ノ効果ヲ収ムルコトヲ目標トシ、茲ニ恩給金庫ナル一金融機関ヲ法律ヲ以テ特置シ、之ヲシテ公正妥当ナル条件ノ下ニ、恩給年金受給者ノ為ニ金融ヲ行ハシメントスルニ至ツタノデアリマス。…」この中でも、「老幼者及ビ廃疾者等、最モ救済ヲ必要トスル者ハ、金融ノ途ヲ途絶サレテ居ル実状デアリマス」というフレーズは、恩給金庫法の必要性及びその本来の立法趣旨が何たるかを端的に表していると言えよう。恩給金庫法の立法趣旨、それは、国家総動員体制に係るものというよりは、「成るべく低利に簡易に金融を行ひ、以て恩給年金受給者の経済的圧迫からの救済を行ふと共に、余力があれば積極的に受給者の福利増進に乗出して」いくという、今様に言えば、ファイナンシャル・インクルージョン(金融包摂)の実現にあったわけである。そして、昭和14年(1939年)から昭和16年(1941年)と、国家総動員体制が急速に強化され、有事への備えが国家の優先課題となる中にあって、国家総動員体制のためという説明が強調されていったのは、恩給金庫法を成立させる上で、また恩給金庫の必要性を説明していく上で、当時の政策担当者たちが、一種の「追い風」として利用した側面もあったのであろう。それが、僅か2年程の間に、恩給金庫法及び恩給金庫に係る説明が、大きく国家総動員体制の点に依りつつある理由と思われる。なお、「公企業の成立と展開 戦時期・戦後復興期の営団・公団・公社」(𩵋住 弘久)は、経済統制の方式としての国策会社について、「…国策会社と国家総動員体制は、ともに官民の協力を基調とするものであった。それ故に、行政手法としての国策会社は、国家総動員体制の要請に極めて適合的であり得た…」と述べている。恩給金庫は、上記で言うような国策会社とは、また少し性質を異にするものであろう。しかしながら、結果的に、半官半民という形を採ったことは、恩給金庫法及び恩給金庫を国家総動員体制の要請に応えるものと位置づける上で、合理的な判断であったのかもしれない。しかしながら、旧軍人軍属の恩給復活(昭和28年)がなされると、旧恩給金庫復活論が沸き起こることとなり、戦前時の状況とは大きく異なるものの、改めて恩給担保貸付の途を如何にして開くべきか、という事態となった。そこで当時の大蔵省は、財政状況等に鑑み、新機関設立ではなく、国民金融公庫の業務として追加する(正確にはその法律関係が不安定である現況に対し、旧恩給金庫法と同趣旨の立法措置を行う)という措置を講じることとした。こうして制定されたのが、現在の恩給担保法である。この経緯は、国民金融公庫の機関報に、当時の大蔵省銀行局特殊金融課の職員が寄せた寄稿文(以下「恩給担保法メモ」という。)に詳しい。それによると、下記のとおりであるが、こうした経緯を積み重ね、恩給担保貸付は国民金融公庫の業務となり、また政策金融改革を経て、現在の日本公庫及び沖縄公庫において行われることとなったのである。「軍人恩給復活の先駆をなしたのは昭和27年4月に公布された戦傷病者戦没者遺族等援護法であるが、翌28年8月公布された恩給法の一部改正により軍人恩

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