ファイナンス 2022年5月号 No.678
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為*4への対応が必要となったのである。4恩給金庫の成立こうした実勢を踏まえ、当時の政府においても対応策の検討が行われた。そして、その端緒となったのは、当時の逓信省であった。元々、恩給の支給事務は、内務省から大蔵省へと移り、さらに明治43年度以降は逓信省に移管されたこともあり、恩給担保貸付に係る問題は、逓信省にとっての課題として、まず対 ファイナンス 2022 May. 23恩給担保貸付の原則廃止にあたって*4) なお、この証書を担保とする行為については、昭和30年の最高裁判所判例(事件番号.昭和29(オ)502)において次のように触れられている。「…その恩給金受領の委任と受領する恩給金による債務の弁済充当についての合意はもとより有効ではあるが、その委任契約の解除権の放棄を特約することは恩給法一一条に対する脱法行為として無効たること勿論であつて、債務者は何時でも恩給金受領の委任を解除し恩給証書の返還を請求し得るのである…」*5) 恩給金庫誌によれば「…信用組合に於いてこの種の金融取扱開始の理由とする所は「凡そ恩給又は年金を担保に供することは法律上禁止するところであり、従つて恩給見返り貸付は適法でない貸付であるが、中小産者をその現在の窮状から救済せむとする大使命をもつ産業組合金融機関が、充分にその取扱と資金の使途に注意を払いつゝ之を行ふに於いては、むしろ法律論としての違法論以上に実際的な一大功績をあげ得るものである」といふに在る。…」とある。*6) なお、後述する恩給金庫法解説においては、恩給の支給事務の変遷について、次のように述べられている。 「…殊に日露戦役後多数の受給者が一時に増加したので年金恩給担保金融が益々盛んに行はるる様になつたのであつた。然るに明治四十三年国費支弁の年金恩給支給事務を郵便局に於て取扱はしむることとなり、従来の大蔵省所管より逓信省に移つた以後支給庁たる逓信省に於ては常に高利貸と受給者間の紛争に悩まされたのであつた。…」昭和16年に当時の恩給金庫(後述する、昭和13年に設立された恩給担保貸付をその業務とする金融機関)が作成した「恩給金庫誌」によると、下記のように記されている。「…如何に一般的に慣行されて居たとはいへ法の禁止ある限り、その方法はあくまでも脱法行為であるのみならず、後に述ぶるが如くこの方法をめぐつて受給者たる債務者と債権者との間に種々の弊害が続出し社会はこの種金融問題の解決を要望して止まなかつた。…」「…大正三年第一次欧州大戦の齎らした世界的物価騰貴により一定の収入によつて衣食する人々は最も打撃をうけ、殊に恩給年金によつて生計を営むものに於いてその困難甚しかつたので大正五、六年来一方に於いては恩給増額運動が次第に猛烈となつたと同時に他方に於いて恩給年金担保金融は愈愈逓増するに至つた。」恩給担保貸付が法定される以前の様子を見ると、恩給金庫誌によれば「…大正末期に於いて最も高潮に達し利子は四割にも五割にも達したといふ…」とあり、如何に激しいものであったかが分かる。一方で、社会的需要は非常に強く、当時の信用組合までが恩給担保貸付(当時の表現では「恩給年金見返り貸付」とある)を、法律論としての違法論以上に重要であるとして、堂々と開き直る様相*5であり、単純に脱法行為であると取り締まることが、政策として適切とも言い難い様相であった。策が検討されたのである*6。そして、逓信省から昭和11年に「郵便官署に於ける年金恩給担保貸付制度案」「郵便貸付法案」等の形で、具体案が示されるに至ったところ、実際に恩給を主管していた当時の内閣恩給局においても検討した結果、内閣恩給局は「…恩給総額の厖大化に伴ひ資金は広く民間よりも収集せざれば金額及弾力性に於いて充分ならざること及簡易保険局案の定期生命保険にては幼老廃疾者の恩給に対する貸付金の副担保として適当ならざること等の理由に依り次第に政府の特別監督に服する民営を適当とするの論…」に傾いていき、「恩給担保金融会社創設案」「恩給銀行法案」「恩給金庫法案」等の案に帰着していった。こうした変遷を経て、昭和12年に最終案として「恩給金庫法案」に到達し、当時の帝国議会に提出されるに至ったものの、当初の議会提出案は、審議半ばにして議会解散となったために成立に至らなかった。ただ、そこは時代の要請があった。日中戦争の勃発に伴い、国家総動員体制の強化が図られる中で、いわゆる闇金対策という観点だけでなく、将士が後顧の憂いなく出征出来るようにする観点からの「国家としての福祉増進に係る国策的な機関」として、恩給金庫の創設が急がれることとなったからである。このことを恩給金庫誌は、次のように述べている。「…殊に偶々支那事変の勃発に際会し国家総動員の下に銃後の護を一層固め以て出征将士をして後顧の憂なからしむる上より銃後施設の一としてもその国家重要性が認識せられその運用に期待が懸けられたものである…」「…偶々支那事変の勃発に際会し長期戦時体制に入るや、国民総動員の覚悟を以て堅忍持久軍需資源の自給自足を図ると共に牢固たる銃後の護りを備へるため国内諸施設の上に萬遺憾なきを期せしむべき関係から恩給年金受給者に対する金融並にその福祉増進施設創

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