ファイナンス 2022年4月号 No.677
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4 燕三条地域の産業燕三条地域は、新潟県随一の金属加工技術の集積地であり、「ものづくりのまち」として日本のみならず世界的にも有名な地域であり、作られた製品は輸出され、海外でも使用されています。(公財)燕三条地場産業振興センター(公財)燕三条地場産業振興センター内物産館(1)三条地域の産業の街」、三条が「商業の街」と呼ばれ、三条商人が、燕の職人が作った商品を三条の職人が作る商品よりも安く買い取って販売していた、ということが理由の一つとなっているようです。現在、当派出所が入居する地場産業振興センターも現名称に変更する際には、地元議会の議論の過程で対立があり、こちらもなかなかすんなりと決定しなかったそうです。同センターには、会議室や研修室だけでなく、大きなイベントが開催可能な多目的ホールもあり、年間を通して、地元企業の商品展示会や見本市など様々なイベントが開催されています。平成26年3月には「メッセピア」を拠点とし、新潟県内で38番目の道の駅として指定され、現在では、インフォメーションコーナーや休憩スペース、トイレの他に物産館やイタリアンレストランが併設されています。物産館には、燕三条地域で製造された洋食器や刃物の他、キッチン用品、鍋、工具など約10,000点が展示され、その場で購入することができます。また、イタリアンレストランでは、地元の食材を使用するだけでなく、燕三条の企業からナイフやフォークなどの洋3 燕三条地場産業振興センター昭和63年5月に竣工された同センターは、「燕三条」の魅力を発信する観光拠点としての機能を担う「メッセピア」と、燕三条地域の活性の原点となる「ものづくり」を支援する拠点「リサーチコア」からなっています。食器や箸などの提供を受けており、また調理器具、テーブルや椅子などの備品についても燕三条地域で製造されたものが使用されています。この地域における金属加工の始まりについては、江戸時代初期に農村の副業として和釘の製造を始めたこととされていますが、資料として残っている訳ではなく、また、三条地域については、江戸時代前に鋳物師集団が存在していた記録はあるものの、現在まではっきりしたことはわかっていません。ですが、燕及び三条の両地域ともに金属を熱するために必要な材木などの材料を調達するのに大変恵まれた地域であったことも、江戸時代を通じて和釘作りが盛んに行われるようになった要因のひとつと言えます。金属を加工する技術は脈々と受け継がれ、そして発展させてきた結果、現在に至っています。同地域には、実際に製品を作っている様子を見学出来る工場(オープンファクトリー)があり、また和釘作りやスプーン磨きなどを自ら体験することが出来る施設もあります。三条地域では、明治時代以降、釘鍛冶職人の伝統を受け継ぐ打刃物や利器工匠具の生産が盛んになり、様々な高品質の金属加工品が作り出されました。戦争

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