ファイナンス 2022年4月号 No.677
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(4)味見して、麺つゆ、塩などで味を調え、味が決まったらねぎを散らして出来上がり。(5)好みで七味唐辛子を振って食す。*だしは、いりこだしでもよい。かつおだしは合わないように思う。**ごぼうやこんにゃくなどを使っても美味い。〈材料〉 塩鮭2〜3切れ(辛塩がよいが甘塩でも可、食べやすい大きさに切る)、大根10cm位(8〜10ミリ幅のいちょう切り)、人参半本(6〜8ミリ幅のいちょう切り)、里芋3個(皮をむき乱切り)、椎茸4本(石突を取り4等分にスライス)、油揚げ1枚(油抜きして短冊切り)、万能ねぎまたは長ねぎ少々(小口切り)、酒粕100g(板状のもの。ちぎってぬるま湯に浸し、やわらかくする)、味■(大さじ3)、昆布だしの素、麺つゆ(1)鍋に、湯1リットルを沸かし、大根、人参、里芋、椎茸を入れあくを取りながら10分ほど煮る。(2)鮭と油揚げを加え5分ほど煮たら、弱火にして昆布だしの素を加える。(3)酒粕と味■を濾し器で溶き入れる。(濾し器がない場合は酒粕とぬるま湯を入れた器に味■をいれて匙などでよく混ぜて滑らかにしてから鍋に加える。)酒粕は濾し器に一部残るが、最終的に残った粕も加える。新々 私の週末料理日記 その49酒と根菜の粕汁のレシピ(2人分)に思いをめぐらすうちに、休日は暮れ、夕餉の支度をする時刻となった。今晩の献立は、粕汁と豚の生姜焼き、そして昨晩の残りの鶏胸肉とサラダ玉ねぎの和風あえである。粕汁については浅学にして起源を知らないが、酒粕については、糟湯酒という言葉が山上憶良の貧窮問答歌に出てくる。万葉時代、上級貴族は布で漉した酒を飲み、憶良のような下級役人は漉した残りの酒粕をお湯で溶いて飲んでいたのだろう。現在のような板状の酒粕が広く出回ったのは江戸時代だという。とすれば、比較的単純な酒粕料理である粕汁は、江戸時代には食されていたと考えていいのではないか。一方、典型的日本の洋食である豚生姜焼きは、大正時代には既にメニューとして確立していたものらしい。和洋折衷の夕食に、「月給百円」時代のサラリーマン諸氏の暮らしに思いを馳せ、彼らが憧れたであろう大正ロマン昭和モダンを想うことにしよう。*前掲の「物価の世相100年」の中に、経済学者ケインズが1931年(昭和6年)1月、不況下の英国のラジオ放送で「倹約することが不景気の原因である」と述べたという話があった。曰く「皆さんが5シリング節約すると1人の人が失業する結果となり、1人失業すればそれだけ購買力が低下するから、さらに失業者を出す結果となり、不景気はますます深刻になる」。現在の日本であれば、ケインズは何と言うかな。「消費者が原材料費高騰に伴う価格転嫁に過度に厳しいことが、経済成長を妨げている一因である」とでも説くであろうか。中小の製造業者や旅館、食堂などが価格転嫁できなければ、そうでなくとも低水準の利益率がさらに下がる。そうなれば、結局は労働者への分配が厳しくなるし、設備投資も難しくなる。我が国政府は企業に賃上げを要請している。これをさらに高望みさせてもらえば、政治家や経済学の碩学の中から、国民に対して「適正な価格引上げには鷹揚になって下さい」と、(賃上げ要請と同時並行して)呼び掛けてくれる人が出てほしいと願う。しかし、スーパーで血眼になって値引き品を探す私が言うべきことでないことは、わかっている。

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