ファイナンス 2022年4月号 No.677
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新々 私の週末料理日記 その49「開闢(かいびゃく)以来」の「物価の昂騰(こうとう)」と報じられた。これは第一次世界大戦下で、国内生産力を超えて輸出が激増したいわゆる飢餓輸出によって、国内の生活必需品に不足が生じたことによるところが大きい。7年11月の大戦終了に伴い「休戦反動」とよばれる不況となり物価は下落するが、8年4月以降再び好景気となると、物価が上がり、米価は7年の水準を超えて上昇した。他方賃金も上昇し、各企業で基本給引き上げと高額のボーナス支給が行われた。ボーナスを考慮すると、大手企業では新入社員の給料が2倍になったという。ところが、大正9年に戦後恐慌が起き、以後日本経済は長い不況に入る。バブルから長い不況へというところは平成以降に似ている。昭和初年は物価が下落する一方、賃金も下落していき、昭和6年には年収1,200円以上の官吏の減俸が実施されている。また農村では、世界恐慌の影響から繭などの価格が暴落した上に、昭和5年の内地米・朝鮮米を通じた記録的大豊作を原因として、米価は大正3年以来の「革命的安値」となり、深刻な農業恐慌状態となった。都市住民は米価下落のメリットを享受したわけだが、デフレ下で失業の不安の中、賃金が下落する時代は庶民にとって幸せでなかったろう。こういう観点からみると、今から百年前の大正後半という時代は、物価高騰や戦後恐慌があり、関東大震災もあったものの、総じて経済的には昭和初期よりかなりよい時代であった。庶民にとって、物価も上がり賃金も上がる時代の方が、両方下がる時代より、よかったといえるのではあるまいか。ところで、このところコロナで飲み会のお誘いが少ないので、家で過ごす晩が多い。老眼が進んだことに加えて、サブスクリプション契約のネット配信の映画コンテンツが充実しているから、家にいるときは本を読むより映画を見ていることのほうが多くなった。韓国の犯罪物映画を観ることが多いが、旧い邦画、例えば高倉健や鶴田浩二の任侠映画もよく観る。この手の映画の時代設定は戦前昭和が多い。和製ギャング物や「日本暴力団シリーズ」はともかく、時代劇の股旅物の系譜に連なる正統派任侠映画については、暗い世相の昭和初期という時代設定で、登場人物は和服着流し姿というのが一番なじむような気がする。高倉健の「唐獅子牡丹」シリーズは第1作こそ敗戦直後という設定だがそれ以外の8作は、すべて昭和初期が舞台である。また鶴田浩二主演の「傷だらけの人生」も舞台は昭和初年の大阪だ。彼の代表作「人生劇場飛車角」も戦前が舞台である。原作である尾崎士郎の「人生劇場残侠篇」によると、同篇の主役飛車角が吉良常と出会った後に自首して7年の実刑を食うのが大正14年であるから、出所して三州吉良に身を寄せるのは昭和初期ということになる。因みに尾崎士郎が「人生劇場 青春篇」で取り上げた早稲田騒動は大正6年の出来事であり、好景気だったが飢餓輸出で物価上昇著しく賃金上昇が追いつかない時期に起きた椿事である。次期学長の座をめぐって現学長派と前学長派が、教員や学生を巻き込んで争った学園紛争であった。尾崎士郎は当時政治経済学科の学生で、ジャーナリストの石橋湛山(後に首相)とともに現学長派の先頭に立って、演説するなど活躍した。閑話休題。映画の時代設定についてはこのぐらいにして、物価と経済の話に戻ると、昭和7年以降高橋是清蔵相の積極財政と円安放置による輸出増加から景気は回復に転じ、物価も緩やかな上昇に向かい、賃金も景気回復に遅れつつ回復に転じた。昭和9年後半になると、機械工業の熟練工の中には重役並みの高給の者までいたという。緩やかな物価上昇と賃金の上昇とで、当時のサラリーマン諸氏も比較的楽しく日々を送れたのではないか。しかし、公債に財源を依存した財政は戦時財政化し、12年になると物価が高騰して一気に「サラリーマン恐怖時代」になった。同年支那事変が起きると一段と物価が上がるとともにモノとカネの統制が本格化し、13年には物品販売価格取締規則に基づく公定価格制度が導入された。それは同時にヤミ取引、ヤミ価格の横行を招いた。統制あるところヤミありであった。「物価の世相100年」によれば、マル公制度発足の同年7月から10月までに統制違反で取締りを受けた者は全国月平均9.4万人だったものが、10月には24.4万人に達した。戦時経済下数年を経ずして「世の中は星に錨に闇に顔。馬鹿者のみが行列に立つ」という戯れ歌が流行る時代となってしまうのであった。(「星」と「錨」とは陸海軍の階級章のことであり、「顔」は顔が利くという意味であろう。)任侠映画を観ながら、大正後半から昭和初期の物価

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