ファイナンス 2022年4月号 No.677
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*20) Maziar Motamedi, Iranʼs FATF debate heats up as nuclear deal remains in limbo, Aljazeera, March 3, 2021パキスタンとインドが別々の国家として独立することを主張したジンナー(左)は、ヒンズー・イスラム両教徒を包摂した統一的独立を主張するガンジーと会談を行うが妥協には至らず、最終的にジンナーの意見に従って国境が画されることとなった。(出典:Public Domain)パキスタン含む西側先進諸国との関係も非常に深い。そして、長引く米国からの経済制裁は経済を困窮させており、国内改革を進めることで経済を立て直そうとする、体制内部の勢力も存在する。イランは、政権内部で保守派と穏健派が絶え間なくせめぎ合う、複雑な国内政治を抱えているのであり、選挙の度に政権の方針は大きく転換されることも多い。テロ資金規制についても、保守派の揺り戻しにより常に骨抜きにされる危険を抱えている中、国内でテロ資金規制を進めようとする立場の体制内要人からも、上記の自由の戦士条項問題は、それが悩ましい論点である旨認める発言がなされている*20。このような国内の葛藤は、拡散金融との関連性において、欧米との核開発交渉にも影を落とす根深い問題であるが、この点については後続の章でも取り上げる。最後にもう一つ無視できない国が、日本により地理的に近いパキスタンである。パキスタンは、英国からの独立に当たってインドとは別の道を選び、イスラム教の国として生きていく道を選んだ。しかし、インドとの比較でどうしても看過されがちであるが、パキスタンも、多様な民族・言語・宗派を抱える国家である。逆に言うと、この国はこのような複雑なモザイクを、「ムスリムであること」を唯一の膠(にかわ)として貼り合わせた、極めて不安定な国である。特に国土の北西部には、伝統的に「連邦直轄部族地域(FATA:Federally Administered Tribal Areas)と呼ばれてきた地域がある。この地域は、アフガニスタンと国境を接し、それをまたぐ形でパシュトゥーン人が居住しているが、憲法により実質的な自治が認められ、パキスタン中央政府の支配が及んでいない。アフガニスタンとの関係では、この地域は常に前哨と位置付けられてきており、今もってテロリストの温床と言われる。しかし、ここのテロリスト達は純粋に自生してきた訳ではなく、背後にはパキスタン政府の実質的な支援があると言われてきた。パキスタンには、実はソ連侵攻時からアフガニスタンのムジャーヒディーンを支援する強い誘因があった。それは、袂を分かった隣国・インドとの対抗関係である。血の繋がった兄のような存在でありながら戦禍まで交えてしまったインドに対し、パキスタンは絶え間ない脅威を感じている。インドとの関係を有利に運ぶことは、この国の外交・安全保障において最大のプライオリティと言える。インドとの有事の際には、背後のアフガニスタンからは物資面での支援を確保し、場合によっては一時退却し態勢を立て直す後方基地となって貰いたい。逆にパキスタンにとっての悪夢は、アフガニスタンでイスラム主義者達が敗北して世俗的な政権が誕生し、更にそれがインドと友好関係を結んでパキスタンが挟撃される構造ができ上がることであり、このような事態は何としてでも防がねばならない。「戦略的深度(Strategic Depth)」を追及するという意味を込め、SD政策と称するこの工作を主に担ってきたのが、旧宗主国である英国の指導の下で創設された、軍統合情報局(ISI:Directorate for Inter-Services Intelligence)と呼ばれる情報機関である。このISIは、安全保障政策においては大統領を凌駕する実質的権限を持っているとすら言われている。なお直近の戦争においては、タリバーンを支援するパキスタンに対し、カシミール紛争との関係もあってインドは北部同盟を支持し、さながら印パの代理戦争の様相を呈した。一方インドへの恐怖は、同時に、この地域を地政学的に重視する米国との友好関係を維持しようという動機をも生み出す。国力で劣る大国と伍していくために

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