ファイナンス 2022年4月号 No.677
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(出所)令和4年3月5日筆者撮影図3 川口川跡のモール505と土浦ニューウェイ(出所)令和4年3月5日筆者撮影プロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。専門は地域経済・金融。昨年12月に「自治体の財政診断入門」(学芸出版社)出版図4 水戸街道中城町(写真右側が土浦まちかど蔵 野村)た。かつて市街を賑わした大型店はすべてなくなった。街中のアーケードも撤去された。都市機能も駅に集まってきた。イトーヨーカドーの撤退で空いたビルには土浦市役所が入った。ビルの地階にはカスミがあり日常の買い物に不便はない。駅の近代化に向けた挑戦はつづく今、川口川の跡を辿ると、昭和10年に造成した祇園町の商業エリアは更地である。図3は昭和42年以降の埋め立て地の写真だが、モール505の2~3階は空きが多い。頭上には高架道路が走っている。万博にあわせて整備された自動車専用道「土浦ニューウェイ」で、川口川と外堀の跡を辿って土浦学園線に抜ける。旧水路を埋め立て高架道路を通した点は東京都心に似ているが首都高速と違うのは走る車が少ないことだ。こうした結果をみて、川口川をはじめ街中に張り巡らされた水路を残していればと思う向きもあろう。実際、川口川の埋め立てにあたっては戦前・戦後の2回とも歴史遺産の保全か近代化の促進かを巡り侃々諤々の議論があったようだ。昭和60年に記されたモール505の竣工碑の文面からもうかがえる。議論を尽くし、その上で近代化を選択した。背景には洪水や伝染病、交通渋滞の問題もあった。特に霞ヶ浦の水面が膨れ上がり川を伝って市内に押し寄せる「逆水」に悩まされた土地の記憶は重い。休日に県南一円から人が集まった頃と比べ街の風景は大きく変わった。大型店はなくなったが、以前とは違う形で再生の兆しがうかがえる。かつての商業地は住宅街に生まれ変わりつつある。駅周辺にはマンションが増えた。西友や小網屋の跡地にはそれぞれマンションが建った。隣には4階建の再開発ビル「アルカス土浦」ができた。2階以上が図書館で県立図書館に次ぐ規模だ。駅ビルはリニューアルされPプレイアトレLAYatreとなった。「日本最大級のサイクリングリゾート」がコンセプトで、1階には公民連携で始まったサイクリング拠点施設「りんりんスクエア土浦」がある。琵琶湖一周ツーリング(ビワイチ)と同じく霞ヶ浦一周も定着するだろう。こうした変化も次代を見据えた近代化のひとつといえよう。上野東京ラインが開通し、丸の内・大手町や品川まで乗り換えなしで通勤できるようになった。テレワークが普及し日々通勤しなくてもよい社会になれば移住先としての魅力も高まる。日用の都市機能が充実し、たまの通勤にも便利な駅チカに住み、休日には車で郊外に乗りつけ買い物やアウトドアを楽しむ。土浦のまちづくりの先にあるものを想像すると、いわゆるコロナ後のライフスタイルが目に浮かぶ。都心、駅チカ、郊外ライフのベストミックスである。藩政期以来の一等地の水戸街道に目をやると町家の修景が進んでいる(図4)。更地となった祇園町エリアは昨年公園化され、土浦城へのアプローチを構成する大通りのようになった。亀城モールという。水路や建築物はともかく、旧城下町の町割りが比較的残っているのが救いだ。残った歴史的遺産の工夫で屋敷町のブランドを高めている。

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