ファイナンス 2022年4月号 No.677
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霞ヶ浦土浦バイパス’82~常磐自動車道'82~図2 広域図旧6号'34~つくば土浦学園線イオンモール'09~(出所)地理院地図vectorに筆者が加筆して作成。年表記は開通・開設年旧西武・ジャスコ'85~桜土浦IC土浦高架道土浦ニューウェイ'85~ピアタウン'82~郊外そしてつくば新市街との競合他方、対立の構図は伝統的商業核と駅前の間だけではなかった。ひとつはロードサイド商業核との競合である。昭和57年(1982)、市街北側、国体道路の沿線に土浦ピアタウンがオープン。霞百貨店から独立した地元の大手スーパー、カスミが核テナントになった。その後も郊外店が集まり一大商業拠点を形成した。伝統的商業核から駅前に街の中心が移っていくのだが、土浦の場合そのきっかけは2度目の水路埋め立てだった。川口川の戦後残った水面が埋め立てられ、昭和42年(1967)に川跡が市営駐車場になった。同年、駅前に丸井が進出。昭和45年(1970)に西友が元の河川沿いに大型店を新築し移転した。昭和48年(1973)にはWALK館を新設するなど若年層へのアピールを強めていく。同年、川跡に面してイトーヨーカドーも進出した。駅からのアクセスに加え、前面に駐車場があったことが強みとなった。駅前の出店ラッシュの間に最高路線価地点は「大和町山本電気商会前土浦駅前通り」に移転した。昭和45年(1970)のことだ。その後、昭和58年(1983)に駅ビル「ウイング」が開店。昭和60年(1985)には川跡の市営駐車場が廃され商業施設「モール 505」が整備された。勢いを増す駅前のあおりを受け、伝統的商業核は苦戦を余儀なくされる。高島屋の後に入っていた「アクト亀宗」が昭和63年(1988)に撤退。翌年、土浦初の百貨店の京成百貨店が閉店した。もうひとつはつくば新市街との競合である。郊外に一から作った人工都市で元々車社会が前提の街だった。昭和60年(1985)、つくば万博が開かれた年に西武百貨店、ジャスコと専門店からなるハイブリッド商業施設「クレオ」がオープンした。ロードサイド商業核とつくば新市街の攻勢を前に土浦市街地の商業集積は体力を落としていく。平成9年(1997)、対抗策のひとつとして進められてきた駅前再開発ビル「ウララ」が完成した。旧川口川沿いからイトーヨーカドーが移り核店舗となった。活性化の切り札だった一方、これが引き金となって街中大型店の撤退が相次いだことも否めない。平成10年(1998)西友が撤退、翌年には小網屋が百貨店を閉店した。丸井も平成16年(2004)に撤退する。平成17年(2005)、土浦税務署管内の最高路線価が土浦市からつくば市に移った。つくばエクスプレスが開業した年である。その10年後の平成27年(2015)には県都水戸市も追い越した。今やつくば市の最高路線価は県内で最も高い。この間に県南拠点の移転も相次いだ。筑波銀行は再編をきっかけに本部機能をつくば市に置くことにした。同行は昭和27年(1952)に創業した関東銀行が源流だ。五十銀行の統合以来17年ぶりに登場した土浦本店の地方銀行だった。平成21年(2009)に4万8302m2のイオンモール土浦が開店。街中に最後まで残った大型店のイトーヨーカドーが平成25年(2013)に撤退した。市の中心市街地活性化基本計画をみると、平成9年(1997)から平成26年(2014)までの市内の売場面積は21万m2前後で推移した。ただし中心市街地に限ると6万6978m2から1万4754m2と5分の1になっ

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