ファイナンス 2022年4月号 No.677
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*7) 銀行は実際にはホールセール・ファンディングにも依存していますが、ここでは説明の関係上ここではその点は捨象しています。*8) アーマー等(2020)ではFRBが当初、広義の定義を求めたことから「(完全にあるいは部分的に)通常の銀行システムの外にある主体や活動が関与する信用仲介」(p.673)と説明していますが、もう少し限定的な定義が必要である点についても言及しています。詳細はアーマー等(2020)の20章等を参照してください。*9) ここでの記述はMishkin and Eakins(2018)、アドマティ・ヘルビッヒ(2014)などに基づいています。*10) Ciprirani and Spada(2021)では「In contrast to other mutual funds, however, until the new SEC regulation came into effect in October 2016, all MMFs were allowed to keep their net asset value(NAV)at $1 per share; they did so by valuing assets at amortized cost and distributing daily dividends as securities progress toward their maturity date.」と指摘しています。リテール・ファンディングのイメージ図表2 MMFおよび商業銀行による資金融通*7ホールセール・ファンディングのイメージ投資家預金者入金入金CP購入やリバース・レポ等MMF貸出商業銀行赤字主体(企業等)赤字主体(企業等)2.4 米国におけるMMF市場の拡大として取り上げられることがありますが、シャドー・バンキングの定義*8は簡単ではありません。本稿ではMMFのみに絞りますが、シャドー・バンキングそのものについてはファイナンスのテキスト等を参照してください(今後の論文で必要があれば取り上げます)。MMFというと日本では非常にマイナーな商品に感じるかもしれませんが、米国では事実上、個人の預金のような機能を果たしています(日本でなぜMMFが普及していないかについてはBOXで説明します)。もともとは米国でも伝統的な商業銀行のチャネルが主流でした。米国では伝統的な商業銀行のビジネス・モデルは「3-6-3」と呼ばれており、このモデルは、3%の金利で預金を集め、6%の金利で融資をし、午後3時にはゴルフ場にいくという冗談のようなビジネス・モデルです*9。もっとも、この「3-6-3」モデルは、1970年代に終焉を迎えます。実は、1970年代に米国では高いインフレーションを経験し、それに伴い金利が急騰するのですが、当時の商業銀行はレギュレーションQと呼ばれる銀行規制があり、預金金利を上げることができませんでした。これに対して攻勢をかけたのがMMFです。当時、インフレが10%を超えており、短期の名目金利も10%を超える水準であることから、預金より高い金利を支払うことが容易な経済環境でした。これにより、伝統的な銀行は預金の流出を余儀なくされます。その後、規制緩和によって伝統的な銀行が高い金利を付すことが可能になり、資金流出が止まるのですが、MMFはこのように預金の代替としてプレゼンスを高めたわけです。図表3は米国のMMFの推移を示していますが、1970年代後半から拡大をみせ、2008年の金融危機時までは基本的に増加傾向にあります。その後、金融危機時に減少に転じますが、近年になり再び残高を増やしています。米国では投資信託の保有が高いという話がしばしばされていますが、その背景には1970年代以降、上記の観点でMMFが普及し、証券口座の利用が広がったことも看過できません(MMFの普及については例えばノセラ(1997)などを参照してください)。MMFは当初、個人から普及がスタートしたのですが、その後、機関投資家にも普及していきました。MMF拡大の背景には制度的な工夫も指摘できます。MMFが預金のように取り扱いがなされるために重要な点は、時価評価せずいつでも元本(パー)で解約できるような仕組みにすることです。MMFでは長い間、預金のような形で時価評価がされていなかったのですが*10、その工夫をするために、運用内容を安全性が高く、かつ、流動性が高い資産に限定しました(この部分は金融危機後、改革がなされるのですが、その背景を含め後述します)。もっとも、現実的には国債で運用したとしても時

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