ファイナンス 2022年3月号 No.676
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PRI Open Campus ~財務総研の研究・交流活動紹介~ 5元々私が財政学を研究したいと思ったのは、高校3年生のときに消費税導入の議論があったことがきっかけでした。まだ選挙権がなかったのですが、大人達が安直に増税だから反対だと言っているのを見て、もう少し客観的に議論できないのかなと思いました。そうした中で、今では当たり前の計算なのですが、当時まだパソコンもままならなかった時代に消費税導入による所得階級別の負担分析を見て、経済学はこういうことができるのかと感銘を受けました。三つ子の魂百までという感じで、財政問題についてもっと深く研究したいと思って大学に行って研究者になったのですが、この消費税論争が私の研究者としての原体験です。池尾先生についての話の中で規律という言葉を使いましたが、特に財政規律について、そんなこと重んじなくてもいいのではないかという風潮がこのところあるように思います。消費税については低所得者の方にとって辛い側面がありますが、消費税だけで全ての政策が終わっているのではありません。社会保障も含めて全体をトータルとして見たときに、税で取られる以上の恩恵を受けているのであればやむを得ないのではないかという感覚が少ないのではないでしょうか。もっとお金持ちや企業が税金を負担すればいいのになんで私に負担させるんだ、他の人が何とかしてくれればそれで自分は困らないで済むという他力依存の考え方が、消費税に対する嫌悪感の背景にあるように思います。それは国債発行も同じで、今税金で自分達が負担するよりも、他の人が負担する形で借金すればいいという考え方があると感じます。誰かに負担を押しつけておけばいい、他の人が犠牲になっても自分のところに恩恵がくればいいということだと、健全な財政運営は難しい。自分も一員として何とかしていこうという気持ちを持ってもらえればなと思います。新型コロナ対応でも、日本ではロックダウンしなくても一定の感染抑制ができたのは、自分が感染したくないという利己的なところ以外の面で、社会としてこうあるべきだという良心が人々の心の中で作用して、ハメを外したらいけないと思うから自粛するという面があったと思います。コロナ対応ではそういう良心がうまく生きた日本国民なので、財政政策でもハメを外しすぎてはいけないという良心の呵責を感じてもらえると信じています。今は財政規律を度外視する風潮が強いように見えますが、再び財政運営における良心を取り戻してもらえる時期ができるだけ早く訪れるといいなと思います。そういう財政運営の良心を取り戻す試みというのも挑戦していただきたいです。コラム 財政における“良心”が、昨今の金融情勢ではどうしても民間がリスクを取りにくく、色々な形で財投が関わっています。しっかり客観的な議論を積み重ねた上で、必要なものをきちんと選りすぐりながらも、民間に取れないリスクを政府が取る。そういうところは、今しばらくは財投の果たす役割があると思います。さらに言えば、税財源によらない財政対応として、財投をより賢く活用してもらいたいと思います。財源は借金で賄えばいいという話になると、どうしても一般会計の負債を増やすという話になりがちですが、幸い日本には財投の仕組みがあって、負債での調達はそちらでも可能です。先ほども申し上げましたが、一般会計と財投では返済原資が異なります。加えて財投には、一般会計には無い償還確実性を確認する機能もあり、本当に利用者のニーズがあるのか、そのニーズに応えればきちんと資金が返ってくるのかが確認されます。償還確実性のあるものについてうまく財投を活用して政策を講じるという財政運営の姿があっていいのではないかと思います。もう一つ、低利融資が財投の一つの魅力ですが、民間では採算が取れないから財投で行うということに色々な意味合いがあると思います。経済学的に言うと、対価を払わなくても便益を受けられることを非排除性と言いますが、そうした非排除性があると低利でなければ営めない根拠になります。なぜなら、本当は便益がもっと及んでいるのに、対価を払わなくても便益を受けられる人達がいて、その人達からは費用を回収できず、民間による資金供給では賄うことができないからです。金利を減免した分だけ暗黙の補助金を出すという意味合いではなく、そういう非排除性があるサービスの提供などに着目した財投の活用というのも今後考えられるだろうと思います。 ファイナンス 2022 Mar.85連載PRI Open Campus

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