ファイナンス 2022年3月号 No.676
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て容易に反転する。そして、1970年代からの論争の背景には、他でもないイスラエルを巡る地政学的な立ち位置の違いが中心にあることは間違いない。その後、国際社会が政治情勢を巡る対立を続ける中、今日に至るまでこの定義問題は何度も再提起されては頓挫してきた。「テロリズム」なるものを正面から規定し、犯罪化する「包括的テロリズム防止条約」は、累次に亘り草案が作られてきものの、未だに最終的に採択には至っていない。よって、本稿においてもおよそテロに関連する用語を用いる時は、全て、いわば「カギ括弧付き」であることをお断りしなければならない。さてこのような宙吊りの状況において、国際社会は当座、やむを得ず次善の策を取ることとした。つまり、誰によってどのような目的で遂行されたかという核心部分は不問に付し、およそ「テロ的な行為」を客観的な犯罪類型の束として規制するという、いわば外堀からのアプローチを試みたのである。基盤となったのは、1972年当時までに既に署名されていた、民間航空機のハイジャック行為を規制する一連の国際条約である*5。その後、2000年代初頭までにかけて、国家元首や外交官の誘拐・殺害、核物質・爆発物の使用といった、一般的に「テロ的な行為」と認識される類型を対象とした国際条約が相次いで署名・発効し*6、これによって、テロ規制の外縁が画されてきた。これらにおいては、行為者のテロ組織所属や、政治的な意図等の有無は問題とされない。しばしば引用されるのが、「恋敵の犯人」という冗談のような例え話である。つまり、パイロットや外交官の恋敵が、純粋な私怨からであれ、その相手が操縦する飛行機をハイジャックしたり、彼を外交官としての任地で殺害したりすれば、それだけで立派にテロ犯罪としての構成要件該当性が認められる、というものだ。本稿の対象であるテロ資金供与に対する規制は、そ*5) 航空機内で行われた犯罪その他ある種の行為に関する条約(通称:東京条約、1963年署名・1969年発効)、航空機の不法な奪取の防止に関する条約(通称:ハーグ条約、1970年署名・1971年発効)、民間航空の安全に対する不法な行為の防止に関する条約(通称:モントリオール条約、1971年署名・1973年発効)*6) 外交官を含む国際的に保護される者に対する犯罪の防止及び処罰に関する法律(1973年採択・1977年発効)、人質をとる行為に関する国際条約(1979年採択・1983年発効)、核物質の防護に関する条約(1980年署名・1987年発効)、1971年9月23日にモントリオールで作成された民間航空の安全に対する不法な行為の防止に関する条約を補足する国際民間航空に使用される空港における不法な暴力行為の防止に関する議定書(通称:モントリオール条約補足議定書、1988年署名・1989年発効)、海洋航行の安全に対する不法な行為の防止に関する条約(1988年署名・1992年発効)、大陸棚に所在する固定プラットフォームの安全に対する不法な行為の防止に関する議定書(1988年署名・1992年発効)、可塑性爆薬の探知のための識別措置に関する条約(通称:プラスチック爆弾探知条約、1991年署名・1998年発効)、テロリストによる爆弾使用の防止に関する国際条約(1997年採択・2001年発効)*7) 正式名称は「テロリズムに対する資金供与の防止に関する国際条約」*8) 安藤貴世『国際テロリズムに対する法的規制の構造:テロリズム防止関連条約における裁判管轄権の検討』国際書院、2020年4月7日、第1章~第5章 金恵京『テロ防止策の研究:国際法の現状及び将来への提言』早稲田大学出版部、2011年7月30日、第1章~第7章 Jae-myong Koh, Supressing Supressing Terrorist Financing and Money Laundering, Springer, 2006, Chapter 1 through 3.*9) 付属書非列挙類型については、次章にて解説。のような枠組みの上に載ったものである。9.11を挟む形で、1999年に採択・2002年に発効したテロ資金供与防止条約*7は、FATF基準のテロ資金規制に関する部分との関係でも、礎石に当たる条約である。この条約では、基本として一連の国際条約に規定された行為類型を付属書に列挙し、それらに対する資金提供を犯罪化することを定めた*8。「テロ」という概念は真正面からは規定されておらず、あくまで規制対象となっているのは、「テロ的な行為」の束に対する資金供与である*9。他の多くの条約と同様、本条約においても第一条で基本概念について定義規定が置かれているが、「資金」の定義規定はあるものの、同様に条約名にまで単語として入っている「テロ」自体の定義はない。これは、法的建付けとしては非常に奇妙である。言うなれば国内の刑法典において、ある犯罪構成要件が規定されていない中で、その幇助を罰する規定が卒然と置か図表4:テロ資金供与防止条約の構造(概念図・安藤(2020)をベースに、筆者作成)「テロ的行為類型」に対する資金提供の犯罪化国家代表等に対する攻撃人質の誘拐・略取核・爆発物関連犯罪文民等の殺傷※大陸棚建造物に対する攻撃航空・船舶ジャック70 ファイナンス 2022 Mar.連載還流する 地下資金

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