ファイナンス 2022年3月号 No.676
73/102

どうしても土埃にまみれた野卑な徒党、という印象を持ってしまいがちであるが、彼らとて、特定の活動目的に従って組織を維持している。そしてそれが可能であるということは、その裏には統制のとれた、資金管理のシステムがあるということである。現に、いくつかのテロ組織の財務文書が明らかになっているが、これらの組織では、高い財務会計や金融の能力を有する専担者が置かれ、日常の経常支出に係る通常の資金管理に加えて、フロント企業を通じた資金の再投資等も行われていることが明らかになっている。米軍が押収した、現在のISILの財務文書からは、組織内での分配を含め、内部での資金管理が、スプレッドシートや標準化された様式に従い、一般企業さながらに秩序だった形で行われている様子が窺われる。そして彼らは強い信念に支えられ、違法な方策も含めあらゆる資金調達手段を躊躇なく動員する。その防圧を図ろうとするのであれば、こちらもそれに対峙するだけの、意識の高さを保つ必要があるのである。以上が、同時代性の断面に映された、現在のテロ資金供与規制の概括的解説である。しかし、その困難性の本質を理解するためには時代を遡り、資金供与規制以前の、即ち、テロという存在そのものに国際社会がどう向き合ってきたかの経緯を、歴史の縦軸に沿って紐解く必要がある。2.入口で躓く対テロ政策~定義問題国際社会の、テロ防圧の取組みを歴史的に振り返るに当たり、触れない訳にはいかない国がある。イスラエルだ。その建国の経緯から、地域のムスリム社会との軋轢を宿命として抱えるイスラエルは、誕生から今日に至るまで絶えずテロの標的とされてきた。中でも1972年という年は、この国が全世界から注目を集める2つの大きなテロ事件が発生した年である。一つは、ミュンヘン・オリンピックにおけるイスラエル選手団の襲撃事件、もう一つは、テルアビブ・ロッド空港での銃乱射事件だ。後者は、実行犯が岡本公三ら日本赤軍メンバーであったことから、我が国での認知度が特に高い。これらの事件は、それぞれ多くの犠牲者を出す悲惨なものであったために、国際的テロ対策の気運が急速に高まる契機となった。同年に採択された国連決議においては、初めてテロという存在が正面から取り上げられ、そのような行為を非難するとともに、これを受ける形で35か国からなる「国際テロリズムに関する特別委員会」が設置された。しかし、ここでの議論は入口から躓くことになる。そもそも、何を以ってテロとするのかという根本的な問いに対し、国際社会が合意を得ることができなかったのである。この点は、学術的には「テロリズムの定義問題」として、論者により、また時代とともに様々な定義が提唱されている。もっともこれは、決して観念上の神学論争という訳ではなく、究極的には今の世界において「テロリストとは誰なのか」という、極めて直截かつ現実的な問いである。欧米先進国を中心とした国々が、その動機や根源的原因に拘らず、あらゆる暴力的闘争を認めないとする立場を取るのに対し、アラブ・アフリカ諸国を含む途上国は、植民地主義・人種主義に根差す国家こそがテロ行為を行っているのであり、それに抗する民族解放闘争の担い手達は「自由の戦士(freedom ghters)」である、と主張した。テロリストと聞いて、その概念に揺らぎが生じる事態など想像が難しいようにも思われるが、分かり易い例を挙げれば、2013年に死去したネルソン・マンデラ氏は、2008年まで、形の上では米国政府からテロリストとして監視対象リストに入っていた。同人は言うまでもなく、アパルトヘイトとの闘いを経て南アの大統領となり、後にノーベル平和賞まで受賞した人物である。テロリズムと正義という一見対極的な価値は、時とし1972年のミュンヘン・オリンピックで、イスラエル選手団11名が人質に取られた事件は、警官隊との銃撃戦の末に、犯人が逃走用に乗り込んだヘリを爆破し、同乗させられていた人質全員が死亡するという、最悪の結末を迎えた。(出典:Spielvogel, CC BY-SA 4.0 – cropped by the author) ファイナンス 2022 Mar.69還流する地下資金 ―犯罪・テロ・核開発マネーとの闘い―連載還流する 地下資金

元のページ  ../index.html#73

このブックを見る