ファイナンス 2022年3月号 No.676
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室では、担当する主要先進各国の対中政策・関係を掘り下げ、レポートとしてまとめ、発信する。ドイツに焦点を当てた第一弾*1に続く第二弾のレポートでは、豪州と中国との政治・経済関係の歴史的推移、及び国内世論の動き等の把握を通じて、豪中関係の現状とその背景を分析し、今後の豪中関係について考察する。なお、本稿で述べる意見は、著者個人の見解であり、所属組織の見解を代表するものではない。2政治面での豪中関係の歴史的推移*21. ウィットラム(労働党)政権 (1972-1975年) ― 豪中関係の始まり戦後、台湾(中華民国)と国交を樹立していた豪州において、ウィットラム氏は1954年に豪州の国会議員として初めて中国(中華人民共和国)の承認を提唱した。その後、1972年12月に約20年ぶりに成立した労働党政権の党首・首相として、ウィットラム氏は就任後僅か数週間で中国との国交を樹立した。ウィットラム首相による豪中国交樹立以降、豪州と中国は徐々に経済的な結びつきを強めていった。2. ホーク(労働党)政権(1983-1991年)― 天安門事件を巡る動きしかし、豪中関係は常に順調であったわけではなく、中国の人権問題が影を落とした時期もあった。1989年6月の天安門事件を受け、ホーク首相は涙ながらに中国に抗議する演説を行い、豪州に合法的に滞在している全ての中国人の一時入国許可の延長を表明*3。さらに、豪州内の全ての中国人留学生のビザ延長を決定。ホーク首相の人道的観点からの中国への抗議と対応は、中国共産党の脅威から逃れた人々による豪州内の中国人コミュニティ形成を促し、今日の豪州における経済発展の礎を築く上での一助となった。他方、同首相は、豪中の経済関係を強化することの長期的有用性は認識しており、中国との経済関係は継続させた。*1) 広報誌「ファイナンス」2月号「ドイツと中国の2国間関係 ~人権と経済のジレンマは続く~」 (https://www.mof.go.jp/public_relations/nance/index.htm)*2) 豪州が初めて本格的に中国に接触したのは、1850年代のゴールドラッシュ期に中国人金鉱夫が豪州に到来したときである。ただし、本稿では現在の中国(中華人民共和国)と豪州との関係を把握することを目的としているため、主に1972年の豪中国交樹立後の豪中関係について扱う。*3) 「Cabinet papers 1988-89:Bob Hawke acted alone in offering asylum to Chinese students」(2014年12月31日、The Guardian)(https://www-theguardian-com.translate.goog/australia-news/2015/jan/01/cabinet-papers-1988-89-bob-hawke-acted-alone-in-offering-asylum-to-chinese-students?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=op,sc)*4) ラッド首相は豪州国内の長年の人権問題にも向き合った。2008年、ラッド首相は約200年前に白人入植者たちがオーストラリア大陸に上陸して以降初めて、先住民に対する過去の差別的政策について謝罪した首相となった。このラッド首相の議会での「歴史的演説」は、先住民だけでなく非先住民の多くからも歓迎された。(https://www.afpbb.com/articles/-/2350297)3. ハワード(自由党)政権(1996-2007年)― 米中両立路線ハワード政権は同盟国である米国との安全保障体制を強化しつつ、経済的に密接な関係にある中国との連携も維持。1996年の台湾海峡危機において、豪州政府は米国の海軍配備を迅速に支持し、2007年に安倍首相が提唱した日米豪印戦略対話(QUAD)についても支持を表明するなど同盟国である米国や日本との関係強化を推進。同時に、ハワード首相は中国との関係維持にも成功。1996年と2007年に豪州を訪問したチベットのダライ・ラマ氏との面会等により、一時的に中国との緊張が高まったものの、ハワード首相は江沢民国家主席と何度も会談し両国間の関係修復を図った結果、豪中関係は改善。2003年には米国の大統領以外で初めて外国首脳として胡錦濤国家主席が豪州議会にて演説を行うなど、ハワード政権時の豪中関係は概ね良好に推移した。4. ラッド*4(労働党)政権(2007-2010年,2013年) ― 豪中関係の緊張の高まり知中派でもあるラッド首相は豪中関係を重視していたが、中国の「真の友人」として中国の人権問題を指摘する態度が逆に中国の反感を買い、豪中関係の緊張を招いた。ラッド首相は、対中政策への影響を考慮し2008年に日米豪印戦略対話から脱退を表明するなど中国との関係を重視。さらに、2008年の訪中時には北京大学において堪能な中国語で講演を行い、北京五輪ボイコットに反対する旨を表明、チベットでの重大な人権問題については、平和的な対処と対話が最善だと述べた。実際に、日米同様、2008年の北京五輪に豪州も参加。しかし、胡錦濤国家主席との会談においてチベット問題を取り上げるなど中国国内の問題について度々苦言を呈するラッド首相に対して、中国は徐々に懸念を抱くようになった。2009年、内外のウイグル人を代 ファイナンス 2022 Mar.39豪州と中国の二国間関係SPOT

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