ファイナンス 2022年2月号 No.675
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取り組みは、空き店舗を集めテナントミックスを図る積極策に発展した。主導したのは黒壁から派生した株式会社新長浜計画である。昭和59年(1984)にパウワースに入居し核店舗となった西友が平成6年(1994)に撤退。新長浜計画が床を賃借しテナント誘致に取り組んだ。高齢者主体のビジネス組織「プラチナプラザ」も育成。惣菜店など4店の開業に至った。平成12年(2000)、パウワースの向かい側の当初西友があった場所に曳山博物館が開館。公民連携した一連の取り組みが奏功し、平成13年(2001)には来街者が200万人を超えた。決め手となった外の力着眼すべきは、黒壁スクエアの仕掛け人が商店主ではないことだ。郊外大型店を脅威としつつ郊外に活路を求めた地元商店街の利害や、「山組」の地縁とは一線を画した立場で進めていった。公民のパートナーシップが良い具合に働いたことも成功要因である。一般的に第三セクターが陥りがちな放漫経営の要素は2つある。ひとつは、公平性や失業対策など営利活動と矛盾しかねない使命あるいはメンタリティを持つ自治体が企業経営にあたって発言権を持つこと。もうひとつは民間側が自治体の赤字補てんをあてにすることである。これら2つの相互依存関係が破たんをもたらす。対してメリットは建物保存のエピソードからもわかるように自治体の公的負担が節約できること。民間側にとってはリスクを帯びた事業に信用補完が得られることである。自治体の出資は担保や第三者保証に代わる「頭金」となる。信用力が強化され資金調達や新規取引がしやすくなる。もっとも信用補完は甘えを生み出すので諸刃の剣ではある。第三セクターは使いようによって毒にも薬にもなるのだ。黒壁ケースは成功例といえる。長浜城の復元に端を発した公民連携の気風が土台にあるのはまちがいない。商店街でも観光地でもない存在感他の都市と同じく長浜も買い回り商業の拠点は郊外に移った。平成8年(1996)、平和堂が店舗面積15,436m2のアルプラザ長浜を出店。平成12年(2000)には店舗面積21,134m2のジャスコ長浜SCがバイパスのさらに外側、北陸自動車道の長浜ICの麓に開店した。現在のイオン長浜店である。旧市街に目を転じると、最近はコロナ禍で閉店した店もあるようだが、4年前に筆者が訪れたときは賑やかさを保っていた。北国街道、大手町界隈は空き店舗も目に入らなかった。もっとも、かつての西友やパウワースのような店はなく、日常使いあるいは地域の買い回りを担った、いわば狭義の商店街が復活したわけではない。個性的な店が軒を連ねる観光スポットのような印象だ。かといって一度訪れれば十分な、いわゆる観光地でもない。近畿圏、中部圏からの来街が多くリピート率も高い。ガラス工芸をキラーコンテンツに、アンティークな街並みを舞台とするテーマパークのような独特のポジションを築いている。これも中心市街地の再生の姿のひとつである。パウワース跡地は再開発事業が施行された。事務局は新長浜計画である。個別利用区制度を適用し街道に面する町家を残す方式で事業を進めた。町家部分はイタリアンレストラン、高級食パンのベーカリーになった。商業棟では発酵をコンセプトとしたチーズ構造、喫茶室、ショップ、ギャラリーや図書室を備えた複合施設「湖うみのスコーレ」が昨年末オープンした。プロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。専門は地域経済・金融。昨年12月に「自治体の財政診断入門」(学芸出版社)出版図4 北国街道と黒壁ガラス館(交差点(札の辻)右奥)(出所)平成29年7月22日に筆者撮影 ファイナンス 2022 Feb.49路線価でひもとく街の歴史連載路線価でひもとく街の歴史

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