ファイナンス 2022年2月号 No.675
39/102

1はじめに昨今の国際社会において、中国の存在感は年々大きくなっている。気候変動や途上国の債務問題など様々な国際的課題はいずれも中国を抜きにして解決は困難だ。異なる政治体制・価値観を持つ中国のような大国を、国際的問題解決に向けて建設的に関与させるとともに、国際秩序の中で責任ある行動を取るよう促すには、日本と共通の価値観を持つ国々との連携をより密にしていく必要がある。その際、これらの国々の対中国政策とその背景にある経済関係や世論の動向等を把握することは非常に重要となる。こうした問題意識をもって、本稿では、2022年のG7議長国を務めているドイツの対中国政策に焦点を当てる。具体的には、独中のこれまでの外交関係の歴史、経済関係の推移、及び国内の対中国感情に関する世論調査の把握を通して、現在のドイツの対中国政策の背景を分析する。そのうえで、2021年9月の連邦議会選挙の各政党マニフェストや選挙後の連立協定から今後の対中国政策を考察する。なお、本稿における意見に当たる箇所については、著者個人の見解であり、所属組織の見解を代表するものではない。2ドイツの対中国政策の推移(1)国交樹立から天安門事件までの対中国政策1972年の国交樹立から始まった*1旧西ドイツと中国の関係における最初の大きな転機は1989年6月4日の天安門事件だ。中国政府が民主化を目指す市民・学生を武力で弾圧したことを受け、欧州共同体(EC)では、「中国に関する宣言」*2が採択された。この宣言では、閣僚及び事務方高官レベルの交流禁止や武器の禁輸等一連の制裁措置が決定された*3。ECによる措置に続き1989年7月にはフランスで開かれたG7の首*1) 1949年に東ドイツと中国は外交関係を樹立。https://www.afpbb.com/articles/-/3247027*2) Declaration on China Madrid, 26-27 June 1989 - Consilium.europa.eu*3) 天安門事件における日本の対中国制裁:1989年6月、第3次円借款の供与を事実上凍結したが、中国側の強い要望を踏まえて1990年11月に凍結を解除。https://www.nikkei.com/article/DGXZQODE22B620S0A221C2000000/*4) https://www.sankei.com/article/20201223-TJFFRAWI7JLWPHUCZJ7I7HNRSM/*5) 山口 和人(2011)「ドイツの対中国外交戦略」P33*6) 山口 和人 同上*7) 世界銀行 https://data.worldbank.org/indicator/NY.GDP.PCAP.CD*8) CHINA AND GERMANY:WHY THE EMERGINGSPECIAL RELATIONSHIP MATTERS FOR EUROPE Hans Kundnani and Jonas Parello-Plesner P3-4*9) 板橋 拓己「ドイツの対中政策―ポスト・メルケル時代へ向けて」https://jpn01.safelinks.protection.outlook.com/?url=https%3A%2F%2Fwww.jiia.or.jp%2Fresearch-report%2Fpost-67.html&data=04%7C01%7Cyayoi.kato%40mof.go.jp%7Cf7d0459889154843316508d9e561d332%7C64a63521a0e249aca94b330963422738%7C0%7C0%7C637793032385267331%7CUnknown%7CTWFpbGZsb3d8eyJWIjoiMC4wLjAwMDAiLCJQIjoiV2luMzIiLCJBTiI6Ik1haWwiLCJXVCI6Mn0%3D%7C3000&sdata=yHYKHAm58mkwa%2F1kAjKrVG4dWj34ZgdsdEAC83oTJf0%3D&reserved=0脳会議において中国政府に対する非難声明が決議された*4。EC及びG7の構成国であった西ドイツも対中制裁を実施、中国との関係は悪化するとともに、以降のドイツと中国の外交関係において人権が1つの重要な要素となっていく*5。1989年は欧州においても歴史的転機に当たる年であった。即ち、東欧諸国で社会主義体制の崩壊が相次ぎ民主化が加速する。ドイツにおいても1989年11月にベルリンの壁が崩壊し東ドイツが消滅、翌1990年10月に東西ドイツは統一を果たした。一方、中国では欧米諸国の制裁措置にも関わらず、共産党の一党独裁体制が揺らぐことはなかった。欧米諸国は徐々に対中国制裁を解除し、中国と関係を再構築する方向に進んでいく。ドイツも同様の動きをとり、1992年12月に武器輸出を除く全ての制裁が解除され関係改善が進んだ*6。その背景には、1990年以降の中国の急激な経済成長がある。1990年に318ドルだった中国の1人あたり名目GDPは2000年には約3倍の959ドルに上昇*7、ドイツをはじめとする欧米諸国は、人権問題で対立を続ければ中国の経済成長の恩恵を受けられないという、人権の保護と経済的利益の享受とのジレンマに陥った。このような状況において、ドイツでは「貿易による変化」*8という言葉が登場した。すなわち、中国が世界各国と良好な経済関係を築き繁栄していけば、いずれ中国は民主化の方向に進んでいくだろうという考え方である。この考えに従うようにドイツ政府は、人権については別途対話の枠組みを構築しながら、経済的な結びつきを強めるという政策を講じていった*9。(2)シュレーダー政権の対中国政策1999年の連邦議会選挙の結果を受けて、キリスト教社会・民主同盟(以下CDU/CSU)と自由民主党(FDP)の連立政権であるコール政権から、SPDと緑 ファイナンス 2022 Feb.35ドイツと中国の2国間関係SPOT

元のページ  ../index.html#39

このブックを見る