ファイナンス 2022年1月号 No.674
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各地の話題オキノウサギ(2)遠流の地としての隠岐隠岐は鎌倉時代に幕府に敗れた後鳥羽上皇や後醍醐天皇が流されたことで有名ですが、隠岐が遠流の地に選ばれた(始まりは奈良時代)のは、都から遠く離れているということだけではなく、流された貴人が飢えたり生活に危険を覚えたりするような場所ではなく、作物豊かな土地であったことが理由であるといわれています。約3,000人余りの人が流されましたが、流人のほとんどが牢獄に入ることなく、島の人々と共に暮らしてきたと伝えられています。このため、方言の一部に関西弁が混じっていると言われています。1221年の「承久の乱」で鎌倉幕府に敗れた後鳥羽上皇は、現在の海士町(中ノ島)に流されて、その後亡くなるまでの19年間を隠岐で過ごしました。今も残る伝統文化「牛突き(うしつき)」は、後鳥羽上皇を慰めるために島の人々が始めたとされており、亡くなってから780年が過ぎた今でも、島の人々は後鳥羽上皇に親しみを込めて「ごとばんさん」と呼んでいるそうです。(3)島で生まれた文化イ 牛突き一般的には「闘牛」と呼ばれているもので、牛が角を突き合わせることから隠岐では「牛突き」といわれています。牛だけで闘わせる他県の闘牛とは異なり、隠岐の牛突きは「綱取り」が手綱を握り牛と呼吸を合わせて闘います。体重1トン近い巨体の雄牛がぶつかる音は迫力満点です。前述のとおり始まりは後鳥羽上皇を慰めるために始まったとされています。春から秋の観光シーズンにおいては観光客向けに牛突きが開催されていますが、地元民は「八朔牛突き大会」など本場所大会を楽しみにしています。なお、観光客向けの牛付きは最後まで勝負をつけず引き分けで終わらせますが、本場所における横綱戦は勝負がつくまで終わりません。勝負は一方の牛が戦意を無くして逃げることで決着がつくため、1戦が10分以上かかることもあります。牛突きの様子ロ 古典相撲島では地域をあげてのお祝い事(大型公共工事の竣工など)があると、それを記念して「古典相撲」が行われます。特徴としては、・2日がかりで夜を徹して行われる(夕方から翌日の昼頃まで)・取組みが300番近く行われる・力士の最上位は大関で、関脇、小結の三役が役力士・役力士のうち、大関及び関脇には土俵の柱が贈られ、小結には柱をつなぐ貫(ぬき)が贈られるという点が挙げられますが、ユニークなのは取組みが必ず2番勝負で行われることで、1番目の勝者は2番目には相手に勝ちを譲って必ず1勝1敗にします。これは「人情相撲」と呼ばれ、勝った負けたで後々に遺恨を残さないようにするためのものであり、人間関係を大切にする島の人々の気持ちが感じられます。古典相撲の様子 ファイナンス 2022 Jan.82連載各地の話題

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