ファイナンス 2022年1月号 No.674
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を下回る水準になってしまった。バブル経済が本格化し地価が急上昇を始める以前のことである。底流に、京都あるいは大阪を中心とした都市圏レベルの郊外化があった。この場合、車社会化は言うまでもなく通勤電車網の充実もある。図5の最高路線価でみた場合、昭和46年(1971)時点で県内第2の都市は彦根だった。城下町の彦根は百卅三銀行の発祥で滋賀大学の本部もある。それが昭和49年(1974)には草津に追い越され、平成19年(2007)には近江八幡にも抜かれた。90年代以降に一段と進んだ車社会化を追い風に草津市の台頭が目立つ。立命館大学びわこ・くさつキャンパスの開学を翌年に控えた平成5年(1993)、県内の最高路線価地点が「草津市大路1丁目草津駅東口広場」に移った。大津百町の再生都市圏の郊外都市として新たなポジションを得たにおの浜も盤石ではなかった。郊外とはいえ菱屋町界隈から2km弱は昭和の郊外である。平成20年(2008)、瀬田川の対岸に当時西日本最大級といわれたイオンモールが開店した。言うまでもなく滋賀県最大で店舗面積は79,000m2。におの浜の商業集積も影響を受けた。大津PARCOは平成29年(2017)、西武大津店も令和2年に閉店した。山形県、徳島県に次いで県庁所在地から百貨店がなくなったと報じられた。とはいえ百貨店がない県ではない。平成9年(1997)、草津駅前に近鉄百貨店が開店しているからだ。大津初のアーケード商店街だった菱屋町界隈は人通りが減り、場所によってはシャッター街の様相さえ呈している。しかし、それは商業中心地としての尺度で見るからであって、歴史ある落ち着いた佇まいの街としてなら見方はまるで違ってくる。江戸期以来の市街地は通りに沿って町名が付されており、「大津百町」と呼ばれる。その大津百町エリアに残る町家は、平成16年(2004)に大津市が調べたところ1,600軒あるという。筆者の主観だが、街がコンパクトな分、京都に比べ町家の密集度が高く感じる。西と南を山に囲まれ、北東に琵琶湖の水面が広がる市街地は輪郭がハッキリしている。都市の灯が少ないほど星空がきれいなように、繁華街やビルが少ないことも景観面には有利にはたらく。大津市で10年にわたり取り組まれてきた中心市街地活性化基本計画だが、目標の2番目に「町家等の活用による複合的都市機能の充実」があった。目指しているのは居住と商業機能が共存する街である。平成30年(2018)に終了したが、エッセンスは現在進められている「宿場町構想」に引き継がれている。図6 京町通の街なみ(旧東海道、左手前に「講」が見える)(出所)平成30年11月3日に筆者撮影その象徴的な出来事としては町家ホテルが知られる。雑誌「自由人」を発行する株式会社自由人と、県内に本拠を構える株式会社木の家専門店 谷口工務店が始めた「宿場町HOTEL講 大津百町」の話だ。7つの町家をハイクラスのホテルに改装。フロントを1棟(近江屋)に集約し7棟13室構成の単体ホテルに見立てている。「メディア型ホテル」のコンセプトも特長だ。町家を改装した建物そのものの魅力に加え、商店街に残る老舗や町家が連なる街の魅力、いわば生業を含めた旧市街の「レガシー」を宿泊体験を通じて伝える意味合いが込められている。プロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。専門は地域経済・金融。12月22日に「自治体の財政診断入門」(学芸出版社)出版図5 滋賀県各税務署管内の最高路線価(千円/m2)大津大津大津草津草津草津彦根草津草津大津大津大津草津彦根彦根彦根近江八幡近江八幡長浜長浜近江八幡近江八幡彦根彦根八日市八日市長浜長浜長浜長浜(出所)国税庁「路線価図」から筆者作成 ファイナンス 2022 Jan.66路線価でひもとく街の歴史連載路線価でひもとく街の歴史

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