ファイナンス 2022年1月号 No.674
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といえよう。当時のビジネス拠点として繁栄し界隈には銀行が集まった。滋賀県で初めての銀行は明治9年(1876)の三井銀行大津出張所である。後に大橋堀は埋め立てられたが、その土地に店舗を新築し移転している。大正4年(1915)に撤退したが、建物は町に譲渡され大津町役場になった。今は京都信用金庫大津支店が建っている。大津が本店の銀行で最も早かったのは明治11年(1878)に設立された第六十四国立銀行である。制度上の営業期間の満了をもって大津銀行に改称。その後、明治41年(1908)に近江銀行に統合された。近江銀行はその名の通り滋賀県各地に支店網を拡げていたが本店は大阪。金融恐慌に巻き込まれ昭和3年(1928)、昭和銀行に買収される。他方、第六十四国立銀行は支店が彦根にあったが、創業の翌年に分離独立し第百1卅3三3国立銀行となっていた。彦根を本拠に地盤を築き、明治21年(1888)には大津に支店を出した。後に百卅三銀行と改称する。国立銀行を出自としない地元行で初めてのものは明治14年(1881)に発足した八幡銀行である。近江商人発祥の地のひとつ八幡町、今の近江八幡市に本店を構えた。大津は八日市、日野につづく3番目の支店で明治29年(1896)、浜町通に店を構えた。現在に至る地域一番行の滋賀銀行は、当時の有力行の百卅三銀行と八幡銀行が母体である。両行が合併して昭和8年(1933)に設立された。その翌年、現在地に本店を新築している。ここは元々百卅三銀行があった場所でもある。他に、明治31年(1898)に発足した滋賀県農工銀行があった。昭和13年(1938)に日本勧業銀行に転換し、第一勧業銀行の時代を経てみずほ銀行となった。大橋堀跡の隣で今も営業している。浜町通には不動貯金銀行もあった。協和銀行の時代を経て支店は戦後大津に進出した大和銀行が継承。その後りそな銀行となったが平成16年(2004)の支店統合で現存しない。滋賀銀行の発足後も旧八幡銀行のレンガ造の建物は残り、隣には塔が印象的な3代目市役所庁舎もあった。昭和の中頃までは日本勧業銀行や滋賀銀行本店も戦前の建物を使っており界隈は近代建築が軒を連ねていた。今に残る旧大津公会堂が往時を偲ばせる。連絡船廃止という激震銀行以前、その原型たる「為替会社」ができたのは地方では大津、敦賀、新潟の3つだった。国内有数の商流・物流の拠点だったとうかがえる。しかしながら、大津駅がターミナルだった時期は長くなかった。明治22年(1889)、長浜駅と大津駅が直接鉄路で結ばれ、わざわざスイッチバックで湖岸に着ける必然性がなくなった。日本海沿岸や東日本からやってくる人や物は大津駅を素通りし、東海道本線で京阪神に移動した。湖岸の大津駅に代わって馬場駅が本線の駅とな図2 市街図県庁湖岸道路びわ湖ホール旧西武におの浜旧勧業滋賀三井跡びわ湖浜大津駅(初代大津駅・跡)近代の町割柳町大橋堀跡札ノ辻京阪石山坂本線(旧大津電車軌道・初代東海道線・跡)旧パルコ京阪京津線(旧京津電気軌道)近代の掘割裁判所日赤✙浜町通膳所駅(馬場駅→2代目大津駅)大津駅(3代目)川口堀跡八幡跡勧商場跡旧大津公会堂3代目市役所不動跡(出所)筆者作成 ファイナンス 2022 Jan.64路線価でひもとく街の歴史連載路線価でひもとく街の歴史

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