ファイナンス 2022年1月号 No.674
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ロンを行おうとする者が、正面から自身がBOと分かるような支配形態を取ったり、また、それを正直に申告する確証はない。情報の提出を受ける金融機関に、取引先に乗り込んで行って調査する権限は当然なく、提出情報の正確性は保証されない*8。現行のBOに係る制度設計は、調査に入られる惧れのない申告納税制度のようなものなのであり、これでは偽りの情報を暴くことも、また申告者に正しい情報を提出させる牽制効果も究極的には期待できない。目下、官の側の関与として、登記所や公証人へのBO情報の届出・認証とその過程での情報集積の仕組みが、日本も含めた複数の国で導入されて来ている*9。また、欧州ではより効果的な情報の集約を図るべくBO情報をデータベース化し、それをタイムリーに更新するとともに、国をまたいだ情報交換を可能にするという制度強化に広域的に取り組んでいる*10。しかし、形式要件を離れた支配関係についてはどこまで行っても自己申告に頼らざるをない一方で、どこの国であれ登記所や公証人も通常、当該法人まで赴いての調査権限を有する機関ではない以上、情報の正確性という一番の根幹は依然危ういままである。よって、これらの制度は実態把握の取っ掛かりとはなっても、本質的な対応策とは言えない。情報の正確性を担保したければ、自己申告をベースとしつつも、正確性に疑義がある情報に関しては官が調査できるメカニズムをビルトインすることが、究極的には不可欠なのである。真の意味での検証を、官が担って実施する場合の必要条件は、以下の2つである。まず、(A)当然のことながら、何れかの機関が検証に係る法令上の調査権を付与されねばならない。この調査権には、実質的支配関係を解明すべく、法人の意思決定に関わる内部文書の提出や、取締役・従業員等への質問を行う権限が含まれている必要がある。次に、(B)実務上の要請として、そのような調査権の行使が効果的に行われるよう、調査対象先の選定を効率的に行うメカニズムが備えられなければならない。膨大な数の法人全てを調*8) 山崎千春・鈴木仁史・中雄大輔『マネー・ローンダリング規制の新展開』金融財政事情研究会、2016年8月、P.41-45*9) 我が国においては、これらに関連して「公証人法施行規則の一部を改正する省令」が2018年11月に、「商業登記所における実質的支配者情報一覧の保管等に関する規則」が2021年9月に公布された。なお、公証人による認証制度については、FATFから優良事例として紹介されている(Best Practices on Benecial Ownership for Legal Persons, FATF, October 2019)*10) Directive (EU) 2015/849 on preventing the use of the nancial system for money laundering or terrorist nancing (4th anti-money laundering Directive), 5th anti-money laundering Directive (Directive (EU) 2018/843)査することは不可能である中、どのように可及的に精度あるリスク判定を行うかは、他の法執行分野と同様の課題となって来よう。これらの点の具体的検討については、後続の章に論を譲りたいが、ここでひとまず認識しておかなければならないのは、地下資金対策の中のBOを巡る国際的な制度設計は、本来の理想形を山の頂とすれば、まだその裾野くらいにしか到達できていないという事実である。逆に言えば、BOの実態把握とはそれ程までに困難な課題な訳であるが、更に不都合な真実は、正にその最も困難な課題が、地下資金対策全体の基礎を構成する要素であるという点であろう。日本は今回の相互審査で、現行国際基準に照らし事業者のBO把握実施が不十分である旨指摘を受けたが、より大きな問題は、その国際標準自体が、未だ不十分なレベルまでしか形成されていないということなのである。もっとも、まがりなりにもBOについては、地下資金対策の文脈においても問題であることが国際的に認知され、上述の通りFATF基準の中にも広範に取り込まれており、その点では議論の基盤は既に確保されているとも言える。それに引き換え、次節で取り上げる自然人の国籍・居住地の偽装問題に対しては、そもそものスタートラインにおいて、未だに国際社会としての危機感のレベル自体が低いように思われる。3.黄金パスポートと国籍ロンダリング地中海、シチリアの南方に位置するマルタ共和国は、人口40万人程度の島国である。小国とは言えEU加盟国に名を連ねるこのマルタが、ここ10年の間にEUの中で非難の矢面に立たされ、2020年には法的措置を取るとの警告を受ける事態が生じた。その理由は、同国が採用していた「個人投資家プログラム(Individual Investors Programme)」という投資誘致制度にある。これは、「経済的市民権(Economic Citizenship)」という穏便な名称の他、より比喩的57 ファイナンス 2022 Jan.連載還流する 地下資金

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