ファイナンス 2022年1月号 No.674
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論は、明確に整理された形では行われて来なかったものと思われる。本章において焦点を当てるのも、正にこの段階の措置に係る、官民のあるべき負担論である。1.総論~ワクチンと仮面舞踏会地下資金対策は、ある意味において、感染症対策と似た部分がある。感染症対策において、手洗い・うがいといった予防措置を社会全体として実施することは、社会全体の防衛策でもあるが、まずもって言うまでもなく個々人の健康のためである。地下資金対策の分野は、ともすると社会における犯罪やテロの抑止という公的な要請の面ばかりが強調されがちであるが、個別の事業者にとって地下資金は、不本意な悪事への加担で市場の信用を毀損し、損害が生じ得るという意味で、他の様々なリスクと並ぶビジネス・リスクの一つである。事業者サイドにおいては、地下資金対策を押し付けられた外在的なものと捉えず、真に「我が事」として捉える発想が求められるし、それこそが「リスクベース・アプローチ」の原点とも言える。その上で、個々の段階での官民間の具体的なバーデン・シェアリングにおいては、官の側も制度的インフラの整備という責任を、きちんと果たさなければならない。この点、感染症対策において、手洗い・うがいは個々人ができても、ワクチン接種体制は政府が責任を持って整えるべきであるのと同じである。では水際措置の段階で、具体的に特に「インフラ整備」が必要となる部分は、どの部分についてだろうか。出発点に遡って考えてみれば、本人確認・顧客管理、そして金融制裁の実施に至るまで、全ての措置の基本となるのは、言うまでもなく「取引の相手方が何者なのか」の特定である。この特定は、単に窓口で名前を名乗らせ、真正な書類で形式的に確認を取れば、それでおしまいというものではない。個人であれ法人であれ、後述の通り、形式的な名義の背後に実態を隠匿することは、実はそれ程難しいことではない。読者の想像力に訴えかける意味でアナロジーを持ち出せば、現在の地下資金対策に係る水際措置は、入口からして、素顔が見えない仮面舞踏会の出席確認のようなものである。銘記しておくべきは、背後の実態が暴けないままの形式的な水際措置は、その意義が減殺されるのみならず、悪意ある者の目線から言えば、自らの悪事にお墨付きをもらえる、有難いサポートとなってしまうという可能性があるということである。よって、この点の的確性を高めて行くことは、地下資金対策全体の実効図表1:地下資金対策の各段階(再掲)③捜査の端緒の獲得~処罰(事後対応)【官】提出された情報の活用、捜査・訴追、国際協力【民】疑わしい取引報告の提出②顧客管理等・金融制裁の実施(水際措置)【官】事業者の措置実施のための法令・インフラ整備、監督【民】本人確認・顧客管理・取引謝絶、金融制裁の実施①リスクの特定・評価(資源配分)【官】国としてのリスク分析・共有【民】業態・個社ごとのリスク分析(筆者作成) ファイナンス 2022 Jan.54還流する地下資金 ―犯罪・テロ・核開発マネーとの闘い―連載還流する 地下資金

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