ファイナンス 2021年12月号 No.673
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時は昭和25年(1950年)、日本経済は、ドッジ・ラインによる不況から、朝鮮特需を契機にようやく立ち上がろうとしているところであった。それにしても、野卑な広島ヤクザが吐いた「今に物が自由に出回るようになったら、(闇市的なマーケットには)客が寄り付かなくなる」という台詞は、千葉の熱演もあって妙に記憶に残る。戦後日本のインフレは、他の敗戦国にも増して長く厳しいものだった。まず支那事変以来の非軍需物資の供給不足と復員に伴う国内人口増加などによる消費増加から、極度のモノ不足の状況にあった。他方、傾斜生産方式を支えるため復興金融公庫融資が同公庫債の日銀引受を財源として行われ、加えて各種補助に充てる多額の財政赤字もあった。モノ不足のところに通貨の過剰供給がなされた結果、激しいインフレが生じたのである。卸売物価が昭和20年から24年の間に70倍になった。消費財不足と激しい物価上昇の中で、何とかモノを手に入れようと、国民は闇市や青空マーケットに群がった。しかし昭和24年2月、GHQ経済顧問ジョゼフ・ドッジにより、インフレの一挙安定を図るべくドッジ・ラインが実施されると、一転してデフレとなった。昭和21年時点ではヤミ価格は公定価格の7.3倍という水準だったが、ドッジ・ライン後の昭和25年には1.2倍にまで接近している。つまりヤミ価格が相対的に急下落したわけで、大友連合会の仕切るマーケットも一時の活気が失われたであろう。昭和25年6月朝鮮戦争が勃発すると、いわゆる朝鮮特需で景気は一転して回復した。モノが出回りはじめ、物価も比較的落ち着く中で、人々は徐々により良質なものを求めるようになり、また食料品や衣料品以外の嗜好品、奢侈品やサービス消費も求めるようになっていった。そうした中で、露天商やテキ屋の売上や利潤が停滞する一方、ギャンブルや風俗業を稼業とする博徒系暴力団の勢力が伸びていったのであろう。大友勝利の台詞は、そのあたりの実体経済の真理を直観的にせよ的確にとらえているので、リアリティがあって印象に残るのだろう。ところでドッジ・ラインによる不況は、インフレ収束策に伴う安定恐慌と言われるものである。1年数か月の短期間ではあったものの、恐慌というだけあって強烈なものであった。「緊縮財政や復興金融金庫融資の廃止による超均衡予算」「日銀借入金返済などの債務償還の優先」「1ドル=360円の単一為替レートの設定」など一連の施策により、デフレが進行し、金融が逼迫して倒産が相次いだ。企業の首切り・合理化は熾烈を極め、国鉄はじめ公的部門でも大量の人員整理が行われたのである。米国側は、日本を反共の防波堤とするとともに米国の援助を早期打切るために、インフレを速やかに安定させて日本経済を自立させようとドッジを派遣したのであるが、日本側でも、当然のことながらインフレの収束策を検討していた。ドッジは「日本の経済は…竹馬にのっているようなものだ。…竹馬の足をあまり高くしすぎると転んで首の骨を折る危険がある」として、一気に竹馬の足を切ったのだが、日本側は、竹馬の足を切るにしても、倒産や失業を抑制しつつ徐々にやるべしという立場で抵抗を試みた。米側が、総じて自由経済の思想というか原理原則に忠実な感じがあるのに対し、日本側は痛みを気にして現実主義に立つ。なんとなく既視感がある図式ではある。我が国では、近時大幅な財政赤字が慢性化している中で積極財政論が強い。巨額の国債残高を不安視する声もないわけではないが、「自国通貨建国債残高が如何に積み上がろうとインフレの心配はない」、「仮にインフレになっても財政や金融政策で十分コントロール可能だ」という考え方が一部に広まっているようにも見える。たしかに戦後インフレも、占領軍の強権の下、超均衡予算や金融引締めで安定させることができた。しかし折からの朝鮮特需がなければ安定恐慌は長期化したろう。ドッジ・ラインは、インフレをデフレ政策で収束させた例である一方、その副作用の激しさを教える事例でもあった。安定恐慌が長引いていれば、千葉真一演ずるところの大友勝利も父親に下品な啖呵を切るどころではなくて、暴力革命の旗を振っていたかもしれない。戦争に起因する特需を歓迎するような考え方は不謹慎で許されるものではないが、事実として朝鮮特需後、広島経済も繁栄に向かい、広島ヤクザもおこぼれにあずかって伸長し、抗争事件を繰り返して市民社会に害をなした。春秋の筆法をもってすれば、その結果としてヤクザ映画の傑作が生まれたということにもなる。妄想はとりとめないが、昼飯の食い過ぎで眠くなった。昼寝しよう。参考文献:「戦後経済を語る」(有澤廣巳著、東京大学出版会)、「これがデフレだ」(吉野俊彦著、日経ビジネス人文庫)72 ファイナンス 2021 Dec.連載私の週末 料理日記

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