ファイナンス 2021年12月号 No.673
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高額美術品取引について、地下資金対策の観点から特に注意するよう促している。そして、同勧告で挙げられている具体的な事例は、正に犯罪収益・テロ資金・拡散金融という地下資金の還流を結節するノードとして、美術品市場が悪用されている現状を雄弁に物語っている。まずは、ヒズボラの資金提供者として2019年に米国の制裁対象となった、ナゼム・サイド・アーメド(Nazem Said Ahmad)氏である*16。同氏は、ダイヤモンド取引を稼業としつつ、美術品コレクターとしても知られ、レバノン・ベイルートの居所にはピカソやウォホールの高額絵画等を蓄蔵している。米国財務省によれば、この人物は紛争地に絡むダイヤモンド(いわゆるブラッド・ダイヤモンド)の密輸に手を染め、その収益等を絵画取引の名目でロンダリングし、更にその資金を制裁の網をかいくぐってテロ組織に提供し続けている。加えて同勧告は、国連安保理制裁委員会の専門家パネル報告を引用する形で、制裁対象となっている北朝鮮の万寿台(マンスデ)創作社が制作した品が、中国本土や香港のギャラリーに出展されている事実を指摘している。その上で、このような取引を通じ、核開発等に係る制裁決議に違反しての外貨獲得が行われている可能性があるとして、注意喚起を行っている。我が国単体で見た場合、幸いにして現在までのところ、美術商が主要なリスクに晒されているとは認識されておらず、今次の対日審査においてもこの点の指摘はなかった。しかし、今後国際的に同業*16) Press Release:Treasury Designates Prominent Lebanon and DRC-Based Hizballah Money Launderers, US Department of the Treasury, December 13, 2019 Elizabeth A. Harris, U.S. Places Sanctions on Art Collector Said to Finance Hezbollah, New York Times, December 16, 2019態に対するリスク認識が高まった場合、もしくはそれを待たずとも、日本国内で何かしら美術品を悪用した地下資金の流れが関知された場合、この業種を特定事業者に含める政策的要請が出て来る可能性はあるだろう。そして、美術商は、このような拡大対象となり得る業種の一つに過ぎない。規制を逃れて地下資金を動かそうとする者がいる限り、既存の業種も常にその悪用の餌食となり得るし、また、暗号資産然り、新たな業態が生まれる際には、それに付随するリスクも当然発生する。官民共働の担い手の水平的拡大は、時系列に沿った垂直的拡大と同様か、もしくはそれ以上に、どこまでも続いていく宿命にあると言えそうである。以上、現行の地下資金対策における官民のバーデン・シェアリングの在り方と、その発展の経緯について概観した。しかし、縷々述べて来た通り、地下資金対策は今もって「未完の構想」である。現状の規制の下で民間事業者のコンプライアンスを促すだけでは足らず、各国政府の連携により、国際社会が制度的枠組として解決すべき課題も、その構想の根幹には多く残されている。次章では、正に「部屋の中の象(elephant in the room)」と呼ぶべきそれらの課題の一部につき、検討して行きたい。※ 本稿に記した見解は筆者個人のものであり、所属する機関(財務省及びIMF)を代表するものではありません。図表5:地下資金の還流(概念図・再掲)テロ・核開発等犯罪ビジネス等合法な経済活動:資金の流れ(筆者作成)米国の制裁対象者であるナゼム・サイド・アーメド氏は、美術品の取引を通じマネロン及びテロ資金供与を継続しているとされる。(出典:Selections Arts via the U.S. Treasury Department) ファイナンス 2021 Dec.53還流する地下資金 ―犯罪・テロ・核開発マネーとの闘い―連載還流する 地下資金

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