ファイナンス 2021年12月号 No.673
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の両方、という相当に重い罰則が待っているという、正真正銘の義務である。加えて、これだけ重たい義務を課しておきながら、その対象たるや、マネロン等の「疑いがある」という、極めて茫漠としたものだ。確実にマネロン等を行っていることが分かっている必要はない。そして、「疑わしさ」の判定については、当局の側から、何か具体的な閾値が示されている訳ではない。むしろ、「リスクベース・アプローチ(RBA:Risk-Based Approach)」の名の下で、自分たちできちんとリスク判定して判断しなさい、というのが近年の国際的な方向性である。更に言えば、仮に怪しい取引をしていようが、曲がりなりにも相手はお客様である。「疑わしい」というだけで当局に報告させるとは、相当にインパクトのある制度と言えよう。言うまでもなく、このような怪しさ(anomaly)を検知して、犯罪の端緒を掴むというのは、本来、警察等の捜査当局の仕事である。夜中に奇異な恰好で徘徊している人に職務質問をすることで、ポケットから覚醒剤を発見する、といったような具合だ。もちろん、職務質問した人の全てから、事件に繋がる訳ではない。むしろ、何も問題が無い場合が大半であろう。行き交う大勢の人々の中から犯罪に至る端緒を発見するのは、河原で一つの石を探すのに例えられる。しかし、膨大なマネーの濁流の中から犯罪収益等に関わる違法な資金を検知する、というのは、それよりも更に難しい作業だ。カネは時に無体的な電磁記録に過ぎず、また、常に有体物への変換と再度の換金を繰り返し、その態様を変えながら流れていく。しかも、国境をまたいで移動する場合、一瞬で世界を駆け回ることのできるカネは、有体的な人やモノ以上に止めることが難しい。とてもではないが、官だけの手には負える対象ではないのである。従って、その対策における官民の協調は、必然的な選択肢となる。そこでの官民協調は、通常その言葉が使われる時のような「緊密に連携していきましょう」という程度の、生易しいものではない。疑わしい取引の届出は、その実施の規模においても、要求されている義務の重さという意味でも、業法規制の一環として各業界に課されている他の義務等と、並列に論じること*9) 令和2年度版については、以下に掲載。 https://www.npa.go.jp/sosikihanzai/jac/nenzihokoku/risk/risk021105.pdfはできない。その本質は、シェアリングという言葉のイメージすら越えて、民間事業者への、当局の法執行活動の部分的な委任(デリゲーション)とも呼び得るものであるが、そのような制度は他に類を見ない。このように、日々、世界を還流する地下資金との闘いという困難な政策課題に対し、人類社会は、既存制度の延長からは俄かに概念化することすら難しい程の、思い切った投網の掛け方をすることで対抗しようとしているのである。3. シェアリングの垂直的拡大: 義務の範囲さて議論の便宜上、ウタトリから話を始めたが、官民のバーデン・シェアリングは、時系列を辿ればこの届出に至る前の段階から生起している。当初、機械的な記録・報告だけであったゲートキーパーとしての義務は、今やオペレーションの多段階に及び、かつ、それら一つ一つとして見ても、深化・実質化の一途を辿り、事業者側の負担は重くなって来ている。まず、第一のベースラインの備えとして、事業者は自らを取り巻く地下資金対策上のリスク分析を行い、どのような取引や顧客に対して特に注意の目を向けるのかを、書面化して定めておかなければならない。これが、ここまでも繰り返し言及しているリスクベース・アプローチの肝とも言うべき部分である。即ち、従来のように、定められた規則に機械的に従う(ルールベース・アプローチ)のではなく、能動的に自らの取組みに濃淡を付け、効率的な資源配分を行うことが、その眼目である。その前提として、政府は国全体としてのリスク分析を行うことが求められており、日本においてその中心となるのは、国家公安委員会が毎年作成する、「犯罪収益移転危険度調査書」である*9。それを前提として、第二の段階は、いわば水際での対応である。これに関しては、顧客等との取引時確認義務、その確認記録の作成・保存義務、取引時確認を最新に保つ義務(継続的顧客管理)、そして、それらを十分にできるような社内研修や規程作成、責任者の選定等も、努力義務ながら定められている。取引時確 ファイナンス 2021 Dec.49還流する地下資金 ―犯罪・テロ・核開発マネーとの闘い―連載還流する 地下資金

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