ファイナンス 2021年12月号 No.673
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と合併。いったん譲渡した支店が回りまわって第一銀行に復帰したことになる。店舗は昭和9年(1934)に大工町から宮島町に移転。今のりそな銀行の場所だ。ちなみにりそな銀行の前身のひとつ不動貯金銀行の宇都宮支店は大正6年(1917)に開店している。宇都宮が地元の銀行で最も早いのは明治24年(1891)創業の下野銀行で大工町にあった。明治29年(1896)には宇都宮銀行が杉原町で創業した。下野銀行は県内に広く展開していたが大正12年(1923)に休業し地元経済界は少なからず動揺した。大正14年(1925)には宇都宮銀行他5行が合併し下野中央銀行が発足。県と宇都宮市の公金も取り扱っていた。しかしこちらも昭和5年(1930)に休業。宇都宮に本店を構える銀行が無くなった。見渡せば栃木県を本拠とする銀行は足利銀行だけとなる。明治28年(1895)に今の足利市で創業。最初の支店を群馬県桐生、2番目を館林に出したように両毛地域を地盤としていた。今も桐生市の指定金融機関である。宇都宮商業銀行を統合し宇都宮に進出したのは大正13年(1924)。その翌年、支店を馬場町の現在地に移転した。本店を宇都宮に移転したのは昭和42年(1967)である。宇都宮に現存する銀行で最も古いものはみずほ銀行である。支店を出したのは明治13年(1880)。前身の安田銀行の本店は日本橋小舟町にあったが、両替商から合本安田銀行に組織変更した時の支店は栃木支店と宇都宮支店の2つだった。宇都宮のみならず、現存する安田銀行系の支店の中でも最も古い。初め杉原町にあったが明治35年(1902)に大工町に移転した。昭和6年(1931)、下野中央銀行に代わって宇都宮市の市金庫に指定され、以降昭和61年(1986)まで指定金融機関の地位にあった。安田銀行は戦後に富士銀行になった。他に、戦前の進出行で現存するものを挙げると、明治31年(1898)に発足した栃木県農工銀行を起源とする日本勧業銀行がある。昭和46年(1971)に第一銀行と合併し第一勧業銀行となったが、平成14年(2002)には富士銀行とも合流しみずほ銀行になった。今の宇都宮支店は栃木県農工銀行があった場所だ。馬場町の百貨店の賑わい銀行と並び街の発展史を織りなす役者である百貨店の動きを追ってみよう。地元最古の百貨店は馬場通り一丁目交差点の北東角、二荒山神社の門前(図1の1)図1 市街図県庁二荒山奥州街道日光街道本丸跡市役所三の丸田川釜川明治官庁街オリオン通ユニオン通松が峰教会①②⑥⑦③⑧⑤⑨⑩⑪①’本郷町旧勧業下之宮伝馬町池上町卍卍卍卍卍卍不動跡相生町第一跡下野中央跡安田跡下野跡広義の城域宮みらい④新石町近代の町割百貨店・大型店①~⑪(出所)筆者作成 ファイナンス 2021 Dec.37路線価でひもとく街の歴史連載路線価でひもとく街の歴史

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