ファイナンス 2021年12月号 No.673
39/86

う時代が終わっていたら、「阪神・淡路大震災やオウム事件といった重い出来事はあるにせよ、もしそうなら平成はポスト冷戦の空気の下、あらゆる規範が相対化されていった『軽やかな時代』として、煌めきのなかに幕を閉じたかもしれない」(156頁)という。第Ⅱ部はじめの第6章の冒頭、江藤淳の自死を述べた「自殺した分析医」の節で著者は以下のようにいう。「絶対的な価値観が失われたいま、言葉で議論を尽くしても結論は出ない。だったら結局のところ、圧倒的なカリスマが体現する説得力に頼るしかない―。平成11年(1999年)は、こうした『言語から身体へ』の巨大な転換が動き出した年でした」(172頁)と。第11章中「あきらめの倫理学?」の節で、「平成の言論界で最も成功したといえる識者たちが、ようやく成就した政権交代の季節には、すでにポスト・フェストゥムー祭りのあとの心境に陥っていた。結局は現状を前提とし、あきらめていくしかない」(356頁)とする。第Ⅲ部冒頭の第12章は、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故からはじまる。そして、「格差社会論の流行以降、もはや日本の全体を単一の共同体として語ることは難しく、かつ有識者ですら『社会』を実感できなくなったいま、眼前の問題に適切なスケールで処方箋を書くことができない。そうした震災以前から煮詰まった袋小路が、脱原発の思想や運動を挫折させたと捉えるのが、今日最も意味のある総括のように思います」(393頁~394頁)とする。個人的に感慨があるのは、「ついに左派も『歴史修正主義に』」という段(394頁~397頁)である。「戦後史の正体」(孫崎享著 2012年8月)がヒットしたことに当時驚愕した。著者は、歴史学者らしく原典にあたり「思想史上の巨星も、政治史上の重要人物も、目下の『気分』に合致するようデフォルメされた形でのみ消費され、使い捨てられてゆく。そんな時代に『知識人』などとおだてられたところでなにができるのだろう―。私が感じた不安は徐々に、この後の世相のなかで的中していくことになります」とする。この一連の叙述には国家公務員として大変苦いものを感じた。また、2012年の消費増税法案の成立に関連して、大平正芳についての言及が目を引く。いわく「近年ではより明白に『反自民』の側が、『リベラルな保守』の模範として大平を担ぐ例もありますが、消費増税への反対は絶対に大平とは一致せず、またカーター政権下のアメリカを戦後初めて公式に『同盟国』と呼び、自民党右派を懐柔するため靖国参拝も行った史実(首相在任中に3回)を捨象するのは、歴史の利用として適切さを欠いています。あくまで現時点での外交・内政の環境を前提にしつつ、しかし財源論から逃げずに持続可能な社会保障を構築する。そうした『リアリズム』としての大平政治に与野党の主流を収斂させることが、ポスト高度成長期以来の政治改革の悲願だったとみるべきです。」(412頁)との洞察にはうならされた。第15章で、団塊の世代の有識者のうち松本健一、仙谷由人、大沼保昭、橋本治の各氏をあげ、「中間派から鬼籍に入る」定めでもあるかのようだとし、「おそらくそれは、ふたつの時代をともに生きるということの、帰結かもしれません。直前の時代を克服しきれない社会と同じように、自分自身の中にも軋みを抱えつつ、新旧どちらか一色の価値観に染め上げられずに思考を続ける。そうした誠実なかたちで成熟を追い求めることのコストが、あまりにも高くなっていった時代、それが平成だったのではないでしょうか」(533頁)という。「跋」において、著者は、「ひょっとすると現在は、20世紀後半の世界を支配した冷戦期と、そのアップデートとしてのたとえば『米中冷戦』の時代との、狭間にあたっているのかもしれない。しかし、かつて歴史学者だったものの眼で見たとき、これほど思想的に貧しく、寂しい『戦間期』があるだろうか」と自問する。そして、「目下の第二戦間期(?)のメディアは、いわば『シュペングラーもどき』だけが跋扈している時代だ」(548頁)とする。著者は、本書を「私が『歴史学者』として著す、最後の1冊になる」という。コロナ禍における與那覇氏の言論活動は、「東畑解説」が指摘するように「ワイルドな知性」を示している。また、歴史学者の現況を厳しく批判している。しかし、「東畑解説」がパスカルの『パンセ』を引いて指摘するように「哲学をばかにすることこそ、真に哲学をすることである」。そして、「自分自身を否定する不気味な何かを抱え、自信を失い、脆弱になることによってのみ、知性は研ぎ澄まされる。だとするならば、元歴史学とは歴史学を癒そうとする試みにほかならない」と喝破する。評者は、大学の教養部で当時講師であった河村貞枝先生のイギリス近代史の講義を聴いて、村岡健次著『ヴィクトリア時代の政治と社会』や角山栄・川北稔先生の諸著作などで、大学での歴史研究のおもしろさに感動したことをいまでも思い出す。「歴史学」はまだそこにあると信じたい。本書は「平成」を振り返るのに必読の1冊だと思う。ぜひ本書を手に取ることをお勧めしたい。 ファイナンス 2021 Dec.35ファイナンスライブラリーライブラリー

元のページ  ../index.html#39

このブックを見る