ファイナンス 2021年12月号 No.673
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1はじめに令和3年、独立行政法人造幣局及び独立行政法人国立印刷局は、明治4年に事業を開始してから150年という節目を迎えた。近代幣制の確立をことほぐため、秋篠宮皇嗣殿下の「おことば」を賜り、また、秋篠宮皇嗣同妃両殿下にオンラインで御高覧いただきながら、造幣局は10月4日に大阪市の造幣局本局において、また、国立印刷局は11月1日に東京工場において、それぞれの150年記念式典を執り行った。本稿では、造幣局、国立印刷局の150年のあゆみを振り返りながら、両法人が日本経済の発展と国民生活の安定に果たしてきた役割を紹介していくこととしたい。2造幣事業150年記念式典(1)150年のあゆみ造幣局は、今から150年前の明治4年4月、近代国家としての貨幣制度の確立を図るため、大阪の地で創業した。以来、大阪に本拠を置く唯一の政府機関として現在に至っている。大阪に創設された理由は、当時、大阪遷都論が背景にあったことに加え、王政復古に貢献した大阪財界に対する配慮、東京の治安が確立*1) 大蔵省造幣局編『造幣局125年史』に同様の記載がある。*2) 大蔵省造幣局編『造幣局百年史』に「敷地は(中略)5万6千坪、現在のちょうど倍にあたり、その広大な敷地は世界最大のものであった」との記載がある。*3) 大阪歴史博物館編『大阪歴史博物館常設展示案内(第2版)』、日刊産業新聞「造幣局150年 近代銅産業の系譜(1)」(令和3年4月9日記事)などを参照いただきたい。していなかったことなどが挙げられている*1。当時としては世界最大規模*2の、西洋の技術を取り入れた近代的な造幣局が誕生し、貨幣の製造が開始された。造幣局の長に井上馨や伊藤博文などの維新に関わる著名人が名を連ねていたことからも、造幣局に対する当時の期待の大きさが窺われる。この時期、日本ではまだ近代工業が発展していなかったため、造幣局は貨幣の製造に必要となる硫酸、石炭ガス等を自ら製造するなどして、日本の近代化に繋がる先駆者の一員として歴史を刻むとともに、我が国の化学工業、銅精錬業や伸銅業の成立にも多大な影響を与えた*3。以来、造幣局は、貨幣の製造・供給等の使命を全うすることに勤しむ一方、地元の皆様に愛される造幣局を目指して、地域とともにあゆみを進めてきた。例えば大阪本局での「桜の通り抜け」。明治16年、時の造幣局長・遠藤謹助の「局員だけの花見ではもったいない。市民とともに楽しもうではないか」との提案により、造幣局構内の桜並木の一般開放が始まった。現在では多くの皆様に御来場いただく大阪の春の風物詩となっている。こうしたあゆみの中、造幣局は、経済情勢などの影響により増減を繰り返してきた貨幣需要にも的確に対応し、それぞれの時代において、国民から信頼される造幣局理事長 山名 規雄/国立印刷局理事長 岸本 浩/理財局国庫課長 西方 建一造幣局及び国立印刷局の 150年記念式典について(創業当時の造幣局)10 ファイナンス 2021 Dec.SPOT

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