ファイナンス 2021年11月号 No.672
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各地の話題お江戸見たけりゃ  佐原へござれ、   佐原本町江戸優まさりり佐原税務署 総務課長宮之元 博文 はじめに佐原税務署がある香取市は、千葉県北東部に位置し、江戸時代から商家町としてたいへん栄えた街です。佐原税務署は、全国に税務署が設置された明治29年11月に設置されました。明治35年頃の職員定員数は千葉県内では最多数の税務署だったそうです。それから現在に至るまで周辺地域の市町村が合併を繰り返し、平成18年には佐原市と香取郡のうち3町(小見川町、山田町、栗源町)が合併して今の香取市となりました。しかしながら、税務署の名称は「佐原」のままとされました。管轄区域は、香取市と香取郡3町(神崎町、多古町、東庄町)を管轄しており、管内総面積は401.26km2、管内人口は約11万人となっています。 日本を描いた男 伊能忠敬~ 天を測り 地を量る ~伊能忠敬は、江戸時代、日本国中を測量してまわり、初めて実測による日本地図を完成させた人物です。1745年に現在の九十九里町で生まれ、17歳で佐原伊能家当主となり、家業のほか村のため名主や村方後見として活躍しました。飢饉や凶作で村が困窮した際、私財を投げ打って人々を救い、利根川の堤防修繕など普請事業にも心血を注いだそうです。その後、家督を譲り隠居して50歳で江戸に出て学問を修め、55歳から71歳までの足掛け17年にわたり測量を行いました。歩いた距離は地球一周とほぼ同じ約4万km、測量当初は多額の費用も自分で賄っていました。その結果、完成した地図は、極めて精度の高いもので、ヨーロッパにおいて高く評価され、明治以降国内の基本図の一翼を担いました。伊能家は、代々名主を務める家柄で、佐原で最も有力な商人でもありました。忠敬は、17歳で伊能家10代目当主として婿養子で迎えられます。家業は主に酒造業を営んでおり、当時の屋敷絵図には、酒造がいくつも並び盛んであったことが描かれております。一説には伊能家の資産は3万両(現在の45億円程度)にのぼったと言われています。現在の伊能家旧宅敷地は、店舗・正門・書院・土蔵が国指定史跡に指定されています。また、旧宅敷地内には、江戸時代に造られた農業用水路の一部が今でも残っています。この水路を通った水は、目の前の小野川に架かる樋橋(とよはし)の大樋を通り、対岸の水田に送られていましたが、水が溢れ落ちた時にジャージャーと音がしたことから、この樋橋は通称「ジャージャー橋」と呼び親しまれていました。現在は、当時の様子を復元し、30分おきに橋の大樋に水が流れるようになっています。樋橋を渡れば、伊能忠敬記念館があります。忠敬の佐原 ファイナンス 2021 Nov.69連載各地の話題

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