ファイナンス 2021年11月号 No.672
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プロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。専門は地域経済・金融流行の発信地であり続けた。デザイナーのコシノジュンコ氏が装苑賞を受賞後にイージーオーダーの店を構えたのは銀座の小松ストアーだった。マクドナルド、スターバックスからアップルストアまで日本で初めての店は銀座に構えた。今もってハイブランド旗艦店の集積地だが、近年は自治体アンテナショップの集積地としても知られている。2020年度自治体アンテナショップ実態調査報告によれば、併設店舗を除く都内62店のうち20店舗が銀座・有楽町にある。隣接する日本橋や新橋エリアを加えると35と半分を超える。地方自治体が地元の逸品をPRするのにも選ばれる場所なのだ。図4 あかつき公園(堺川跡)とツインタワー(出所)筆者撮影歴史・病院・住まう街を考える情報拠点としての銀座、ハイカラ・モダンと形容される銀座の源流は築地居留地に辿ることができると筆者は想像する。明治早々その拠点性は銀座に移ってしまったが、前述の通り洋館や教会やミッションスクールが醸す雰囲気はしばらく残っていた。が、旧居留地の洋風建築群は関東大震災でほとんど倒壊してしまう。現存するのは震災後の再建である。カトリック築地教会は昭和2年(1927)の建築で、古代ギリシアのドーリア式神殿を模した教会堂である。聖路加国際病院の旧館は昭和8年(1933)築。敷地内にある2階建の西洋風住宅、トイスラー記念館は同年に建てられた宣教師館で、元は聖路加タワーの場所に建っていたものを移築した。これらわずかに残る建物に居留地の面影を感じるが、基本的に一帯は中層マンションが林立する住宅街だ。かつての築地居留地は年月を経て歴史と病院を擁する住まう街となった。これは背景は違えど拠点性が薄まった地方都市の再生の参考になる。キーワードは歴史、病院、住まう街の3点だ。まず歴史だが、居留地時代の遺構の代わりにミッションスクール発祥の地はじめ記念碑が多い。居留地を囲んだ水路は埋め立てられて今はないが、どこに水路が走っていたかは地図を見れば明らかだ。道端の案内図には水路があった時代との比較がある。戦災や開発で歴史的遺構を失った地方都市でも、碑石、町割や水路跡で街の記憶をとどめることはできる。まちづくりの観点では、住民が歴史の系譜に自らを位置づけることで住む街に愛着を持つことに意味がある。現物は必須ではない。次に病院だが、旧居留地エリアの中心に聖路加国際病院がある。病院の道路をはさんだ隣にツインタワー「聖路加ガーデン」があり渡り廊下でつながっている。うち38階建の棟の大部分はサービス付賃貸マンション。上層階はシティホテルで低層階が商業施設だ。健康であっても血管系疾患等の再発リスクを抱えるシニア層にとって、24時間体制で稼働する高度医療施設が隣にあるのは心強い。病院にとっても入院病床ではなく在宅ケアの拠点になりえる。高齢化社会にとって病院中心のまちづくりは魅力的な選択肢だ。高度・救急医療体制は都市防災の観点からも求められる。最後に住まう街である。かつて居留地を囲んでいた水路は公園になった。築地川公園しかり。運上所の前の入り江の堺川はあかつき公園になった(図4)。鉄砲洲川は道路になったが歩道が広い大通りになった。ツインタワーの東側の明石町河岸公園は隅田川の眺めがさわやかな散歩コースだ。川には水上バスが行き来している。地方の中心市街地は車社会化の影響で商業拠点の空洞化が激しい。コロナ後、ネット通販の時代は本格化し商業拠点自体の意味も薄れてくるだろう。これからのまちづくりの方向性は「住まう街」だ。その点、歴史、病院、住まう街の3点揃った旧居留地は意外にも地方都市の参考になると思う。 ファイナンス 2021 Nov.53路線価でひもとく街の歴史連載路線価でひもとく街の歴史

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