ファイナンス 2021年11月号 No.672
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宣教のため、彼らは宣教師館や教会に学校や病院を併設していった。図1の丸数字はその場所だ。例えば番号1は名前が番地に由来するA六番女学校で、禁教令の解除に先立つ明治3年(1870)に米国長老派教会の宣教師が立ち上げた。後の女子学院である。2の東京一致神学校も長老派系で、こちらは明治学院の源流だ。明治10年(1877)の開設だが元を辿れば文久3年(1863)に横浜で開校したヘボン塾に行き着く。明治10年は3の海岸女学校が開校した年でもある。米国メソジスト監督教会による創設で、青山学院の前身校のひとつとなった。明治7年(1874)、米国聖公会の宣教師が4の場所に立教学院を立ち上げた。米国国教会は後に病院も開設している。明治34年(1901)年開院の聖路加国際病院だ。初代院長のトイスラー医師は立教学院の理事でもあった。5は雙葉学園の発祥地である。明治8年(1875)にカトリックの幼きイエス会が修道院に併設した築地語学校があった。カトリック築地教会の敷地(番号6)には暁星学園の前身となる神学校があった。明治21年(1888)にマリア会が立ち上げたものだ。7には明治28年(1895)に米国バプテスト伝道協会が設立した東京中学院があった。関東学院の前身校のひとつである。8は明治38年(1905)に米国のプロテスタント教会ディサイプルス派が設立した女子聖学院である。当初は神学部の単科だった。以上8つのミッションスクールは既に現在地に移転し、跡地に発祥の記念碑が建つ。ビジネス街ではなくとも居留地独特の雰囲気を持ったエリアだったようだ。内田魯庵は「ドチラをみても外国人の住宅図1 市街図築地ホテル跡本願寺旧司教座明石小築地市場跡(米国公使館跡)36724158聖路加国際聖路加タワー毎日跡築地居留地雑居地水路跡旧道隅田川あかつき公園逓信省跡鉄砲洲川堺川場外市場(本願寺跡)汐留川新橋料亭街(出所)筆者作成図2 歌川国輝(二代)「東京築地鉄砲洲景」塔を乗せた建物が築地ホテル、左上の日の丸の場所が運上所(出所)国会図書館デジタルコレクション ファイナンス 2021 Nov.51路線価でひもとく街の歴史連載路線価でひもとく街の歴史

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