ファイナンス 2021年11月号 No.672
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4「ペニコー法案」のとりまとめこうした失業手当受給権拡大策は、職業訓練制度や見習研修制度の充実強化策とともに、「職業の未来に関する選択の自由法」(loi pour la liberté de choisir son avenir professionnel)案(いわゆる「ペニコー法案」)にまとめられ*14、2018年4月に議会提出された*15。全体的には労働分野におけるセーフティネット機能の強化を主旨とする法案であり、失業保険制度に関しても受給権を拡大することが実体的な改正内容であったが、マクロン大統領の候補時の公約にあった「ボーニュス・マリュス」に関連しては、「失業保険料の企業負担分に雇用契約の長短や契約の性質等に応じて、政府は傾斜をかけることができる」、というプログラム的な「できる規定」が盛り込まれた。その上で、「首相が、失業保険の財政問題を含め、合意すべき項目を示して労使交渉の『枠組み』を提示できる」という権限を追加している。これは、労使自治の枠組みとして歴史的にスタートした失業保険制度への、国家の介入を強めるものと受け止められた。また、仮に、この「枠組み」に沿った合意に労使が達しない場合には、政府が政令(デクレ)で当該項目*14) 当時のミュリエル・ペニコー(Muriel Pénicaud)労働雇用統合大臣(本稿では単に「労働大臣」)の名前とり「ペニコー法」と通称される。*15) 提出時の法案はhttps://www.assemblee-nationale.fr/dyn/15/textes/l15b0904_projet-loi.pdf。その後、議会修正を経て、2018年8月に成立、9月に公布された法律はhttps://www.assemblee-nationale.fr/dyn/15/textes/l15b0904_projet-loi.pdf*16) 本文に出てきたように、その後時代は下り、2018年のペニコー法によって、政府は労使交渉に先立って交渉事項を画する「枠組み文書」を労使代表に送付できることとなる。また、同法によって労働協約を政府として承認する権限は労働大臣から首相に移管された。について規定できることとされている。これら一連の条項を総合的に踏まえ、「政府は、この法案が議会で成立した暁には、2018年年末までに労使代表に対して雇用契約の不安定性に対処する失業保険制度上の策を交渉・合意するよう要求するとともに、もしその結果が不十分と判断される場合には政府主導で失業保険料の企業負担分に傾斜をかけるボーニュス・マリュス制度を導入する意向だ」と受け止められた。*16(イメージ1)ペニコー法の概要を紹介する政府作成パンフレット表紙(出典)フランス労働省1958年12月31日:失業保険制度創設ドゴール将軍の後押しもあり、経営者団体(CNPF(現在のMEDEFの前身))と複数の労働組合(CFTC、CGC、CGT-FO)の間で失業保険に関する最初の労働協約が締結された。当時は完全雇用に近い状態にあったが、すでに失業者に対して、「(賃金の)代替的収入」を支給するとともに、労働市場の転換に対応した同伴サービスを提供する、との考え方に立っていた。1959年以降、法律によって失業保険制度にかかる交渉と管理は労使代表に授権された。労使が合意に達しない場合には政府が政令(デクレ)によって決定することができることとされた。*161967年7月13日:民間部門のすべての賃金労働者を保護対象に発足当初はCNPF加盟の企業の賃金労働者のみを対象としていたが、その後徐々に対象セクターを拡大。1967年にオルドナンスによって、失業保険を民間部門全般の賃金労働者を対象としたものに一般化。1974年10月14日:制度にとって最初の経済的危機第一次石油ショック後、失業率が急激に上昇。経済的解雇の対象となった者を対象とした待機追加手当(Allocation supplémentaire d’attente(ASA))を創設。以後数年間、制度は赤字となり、準備金の取り崩しが発生。【コラム】フランスの失業保険制度の沿革32 ファイナンス 2021 Nov.SPOT

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