ファイナンス 2021年11月号 No.672
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3近現代の日本の建築前編の伝統建築に続き、後編は、近現代の日本の建築。1 はじめに―安藤忠雄(1941~)癌が見つかり、医者から「「(膵臓、脾臓、十二指腸、胆嚢、胆管)全部ない人は日本中にいないから面白い」と言われて、全部取り、絶望したが、絶望するだけではだめで、挑戦しないといけないと語る、いつも満員という大阪弁のこの人の講演は面白い。おそらく、日本で最も知られている現在の日本人建築家。中学生の時、自宅を二階建てに増築。若い大工が一心不乱に働く姿を見て建築に興味。高校二年生で半年前にデビューした双子の弟の後を追い、プロボクサーデビュー。ジムを訪ねてきた世界チャンピオンのファイティング原田の練習をみて、「プロでのし上がっていくには才能が必要なのだと痛烈に思い知らされ」、「ボクサーの道をすっぱりとあきらめた」という。「家庭の経済的理由と何より学力の問題から大学進学を諦めざるを得なかった」安藤は独学で建築を学ぶ。古書店で、近代建築の巨匠、ル・コルビュジェの作品集と出会った「が、高価すぎて手がでない。他の客に買われないように、書店に行くたび本を下に移動させ」、数か月後にやっと購入。「全ての図面を覚えてしまうくらい、何度も何度も」図面を書き写し」たという安藤の愛犬の名はコルビュジェ。1971年、初めて住宅の設計依頼。四軒長屋の一軒を建て替え、夫婦と生まれてくる子供一人のための「極限の家」を建てたが、双子が生まれ、依頼主から、「安藤さんが双子だからうちにも双子が生まれた。責任を取って欲しい」と言われ、その住宅を買い取り、自分の事務所に。1975年、建築雑誌に掲載されたその住宅を見て、電通社員が長屋の建て替えを依頼。日本建築学会賞を受賞する「住吉の長屋」と呼ばれるこの家は、三軒長屋の真中をカットし、コンクリートの箱を挿入。「間口わずか二間(3.6メートル)、奥行き約八間(14.4メートル)」を「三分割して中央の中庭を設け…狭い空間の中に大きな宇宙を作り出そうとした」。雨の日は傘が要るこの家、建築界の巨人がある建築賞の審査員として現れ、「じっくり見た後、『この建築は悪くない。が、建築家でなく、頑張っている住み手の勇気に賞を与えるべきだろう』と言い残してその場を去った」。記事を見て、当代随一の建築写真家二川幸夫が来る。一通り見終わった後で、「面白い」と言い、「がんばれ。これからお前が作る建築は全部写す。そのうち作品集を作ってやる」と一言。「海外で未だ一つのプロジェクトも経験したことはな」かった1982年、突然フランスの建築家協会I.F.A.から個展の招待。「問題にぶつかりつつもなんとか乗り越え展覧会」。その後、「1991年にニューヨークのMoMAで、そして93年にパリのポンピドー・センターで、日本人として初めての個展」。「現代美術の世界的殿堂である両施設で生存している人間の個展というものが、そもそもなかった」中、「かけがえのない貴重な経験」に。「世界は広く、知らないことが多い。いくつであっても新しいことへの挑戦が、また新たな可能性をうみだす」と安藤は語る。余程魅力的な人なのだろう。1972年に出会ったサントリーの佐治敬三は「私の事は何も聞かず、ただ「人間として面白そうだから」という理由であちこち連れて行ってくださった。お会いしてから十数年たったころ、「お前、建築家らしいな」という。「知らなかったのですか」と問い返すと、「いちいち学歴や職業など聞いておれん。一生懸命生きとるかどうか、それだけや」と言われた」という。安藤が東大教授に決まると、佐治は東大の先生方を招いて料亭で壮行会を開き「これだけ接待したのだから、安藤をいじめない元国際交流基金 吾郷 俊樹日本の建築(法隆寺から新国立競技場まで)(下)20 ファイナンス 2021 Nov.SPOT

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