ファイナンス 2021年10月号 No.671
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立川市4米軍横田基地以上、名勝・観光地を紹介してきたが最後に米軍横田基地を紹介したい。〈沿革〉横田基地は1940年に旧日本陸軍立川飛行場の付属飛行場として開設され、「多摩飛行場」と呼ばれた。第二次世界大戦中は日本の主要な航空機試験場として機能し、陸軍航空審査本部をはじめ、陸軍航空整備学校、陸軍航空発動機試験所、陸軍航空機気象部等の諸機関が置かれていた。当時の滑走路は1,200m、180機以上の最新鋭機があった。終戦後の1945年9月4日、同飛行場に米軍が進駐し、その後の多大な増築・改築を経て近代化が図られ、現在では日本における米軍の主要飛行場として機能している(5市1町に接し面積は約714万m2、滑走路3,350m)。ちなみに「横田」と名付けられたのは、多摩飛行場と呼ばれていた当初、飛行場の東にあった小さな村(現在の武蔵村山市)の字名が「横田」であったことからといわれている。〈組織〉横田基地には在日米軍司令部、第5空軍司令部、第374空輸航空団の司令部が置かれているほか、西太平洋地域での任務を担う多数の部隊が駐留している。在日米軍司令部は、統合軍司令部として日米同盟の強化や日米防衛関係に影響を及ぼす事案の調整を行っており、第5空軍司令部はアメリカ合衆国の抑止力政策に貢献し、万が一その抑止が崩れた際には空中作戦を行うため、戦術戦闘機の提供と軍事空輸支援を行う。第374空輸航空団は、インド太平洋地域における空輸航空団として空輸支援を行っており、横田基地の主航空機であるC-130Jスーパーハーキュリーズを駆使した空輸を担い、また、税関と緊密な関係にある憲兵隊を所掌しており、在日米軍と日本国税関において最も重要かつ密接な関係にある組織の一つである。スーパーハーキュリーズ C-130J-30〈地域交流、その他〉横田基地には、米軍放送局(AFN)、太平洋空軍音楽隊の司令部、消防や警察、空港ターミナルなどの軍の施設のほか、住宅、学校、銀行、スーパーマーケット、映画館、運動施設、レストランなどの一般の施設も完備されている。地域社会との交流も盛んであり、「日米友好祭」は、基地を一般に開放し、航空機の地上展示、降下訓練、ステージ演奏、露店などが行われ、2日間で10万人以上が来場する人気イベントとなっている。日米友好祭:駅からゲートまで続く人の波日米友好祭:航空機の地上展示82 ファイナンス 2021 Oct.連載各地の話題

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