ファイナンス 2021年10月号 No.671
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私の週末料理日記その468月△日 夏休み新々新型コロナウィルス蔓延で、夏休みだというのに出かけられない。せめて近所のジムかプールに行きたいと思うが、緊急事態宣言下控えた方がよさそうだ。かといって炎天下の散歩はつらい。屋根があって屋外の場所ということで、近所のゴルフ練習場に出かける。善男善女の考えることは同じようで、朝から結構混んでいる。しばらく待って打席に入り、入念に準備運動してからおもむろに球に向かう。流れるようなバックスイングからクラブ一閃。白球は正面のネット上段に突き刺さるはずが、空振り同然のチョロ。次はマットが飛びそうなダフリ。次は、野球ならゴロでセンター前に抜けようかというトップ。気を落ち着けて素振りを繰り返してから再度アドレスに入るが、今度は痛烈な直角フック…。挙句は痺れるようなシャンクまで器用に打ち分けて、汗びっしょりになって早々に退散する。家に戻って風呂場で水を浴びてから、昨晩の残りのカレーにカリカリに焼いた目玉焼きを2個のせて食べる。食後にコーヒーを飲みながら「尾張の宗春」(亀井宏著、東洋経済新報社)を読む。ついでに水羊羹も食べる。同書は、不行跡と財政困窮により家中及び領地を誅求した故を以て、将軍から隠居謹慎を申し付けられた尾張徳川家第7代宗春を描いた歴史小説である。宗春は、時の将軍吉宗の享保の改革を、法令が多いのはよくない、倹約はかえって無駄を生ずるなどと批判し、祭りを奨励し、自らも派手な生活をし、遊郭や芝居小屋の設置を認め、商工業を振興した。庶民はこうした宗春の施政を歓迎した。しかし、自身の派手な遊興や自由開放路線、質素倹約の否定は幕府の保守主義・緊縮財政主義に沿わないものであり、幕府からの詰問を受けるに至る。一旦は言いのがれたものの、将軍吉宗の怒りを買う。人間の欲望を自然なものとして肯定する宗春の考えは、それがどこまで深く思索されたものかどうかはともかく、朱子学全盛の当時にあって革新的であったが、徳川幕府体制の維持を最優先する現実主義者吉宗の思想と相容れるものではなかった。宗春にはその点の理解がなかったようだ。太平の世で藩士の遊郭通いや芝居見物を公認し、自身も江戸で吉原通いを盛大に行っていれば、家中に身を持ち崩す者も出るし、幕府に目をつけられる。歳入の目処がないまま派手な生活や大掛かりな祭礼など放漫な財政支出を続ければ、巨額の財政赤字に至る。当然と言えば当然である。当然なことを、あらかじめ当然なことと見通せないのが人間の悲しいところだ。家中の風紀については、宗春も「遊興徘徊と博奕を特に禁ず」る書きつけや、遊郭・芝居小屋の縮小に関する書きつけを発するなどして匡正を図ったが、本人が派手な生活をしているのだから実効は上がらない。財政については、その悪化のため領内から巨額の上納金を徴発するに至り、領民の反発を招いた。幕藩体制下にあって、藩財政逼迫による領民への誅求は、反乱を招きかねないものであり、治世の失敗として重罪にあたるとされていた。そういえば、先日寝酒代わりに「君主論」(「マキアヴェッリと君主論」佐々木毅著、講談社)を読んだ。その一節(第16章「気前良さとけちについて」)を思い出した。マキアヴェッリ曰く、「気前が良いとみられることは好ましいであろうが、しかしながら気前の良さが人々の考えられるような仕方で実行に移されると有害である。…人々の前で気前が良いという評判を維持しようとするならば、豪奢に類する行為を避けるわけにはゆかなくなる。…このような君主は、豪奢に類する事柄に常にすべての資産を使い果たすことになる。そして気前が良いという評判を維持しようとする ファイナンス 2021 Oct.75連載私の週末 料理日記

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