ファイナンス 2021年10月号 No.671
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2.設立経緯からの含意さて、ここまでの経緯及びこの宣言の内容を見る限りにおいても、FATFというものの原点について、かなり多くのことを読み取ることができる。まず第一に、これがG7をプラットフォームとして合意したことが象徴する通り、この枠組みが先進国間、なかんずく欧米の共通の政策的関心から始まったということである。深刻な薬物汚染に悩まされた米国が、「麻薬戦争」推進の一環としてマネロン規制を世界に先駆けて実施し、1986年までに主要な関連国内法を整備したところまでは既に解説したが、同国はそこで留まることなく、それを国際的な取組みとしてスケールアップすることを企図する。麻薬からの違法収益を捕捉しようとした場合、米国一国がいくら頑張っても限界がある。カネというものの性質上、簡単に国境を越えて移動することができ、対策が脆弱な国に逃げられてしまったカネは二度と捕まえることができなくなるからである。米国はこのような穴を塞ぐため、国際的なレベルでマネロン規制の実施が必要と考えたが、このことに関しては、当時、米国同様、麻薬の消費地としてその対策に頭を悩ませていた欧州諸国の利害とも一致した。この時の開催国フランスは、自国のリーダーシップの下でこの取組みを推進することにコミットし、自ら第1回会合の招集を約束する。FATF本部がパリに置かれることになったのは、このような経緯によるものである。欧米は今日でこそ、自分達が負っている政治的立場を背景に、FATFの場でも意見が相違したり、また、FATFが目指す国際協調路線から外れたユニラテラルな行動をそれぞれに取り、お互いを非難し合ったりすることもあるが、その船出は、両者のハッピー・マリッジによるものであった。なお、G7のもう一つの角を占める我が国としても、前章で見た通り当時は第2次覚醒剤乱用期の真っ最中であり、この提案に反対する由はなかった。ただ第二に、宣言文の行間から滲むこととして、中等国・途上国までを含めた広範な枠組みは、この時点*6) 中川淳司『経済規制の国際的調和・国際経済犯罪規制の国際的調和(第23回)』貿易と関税・日本関税協会、2007年11月においては想定されていなかった、ということも言えそうである。当初の段階で、G7の外側からFATFに参加した国は、僅か8か国に過ぎなかった。その後、FATFの地域的影響力は拡大の一途を辿り、現在では実質的に世界200以上の、即ちほぼ全ての主権国家・地域を包摂するまでに至っている。そのような急速な拡大の理由は、通り一遍の教科書的説明をするとすれば「世界的な麻薬問題への意識の高まり」ということになろうが、話はそう単純ではない。麻薬問題の流通段階における位置付け(生産地・消費地・中継地の別)や被害の深刻さ、従って政策としての優先順位には、国によって相当の差異がある(前章図表4・ヘロインの流通図参照)。また、そもそもどの国であれ、自国の立法措置に至るまでの政策決定を他人にとやかく言われることを心地良いと思う政府は存在しないのは、当然である。更に、マネロンと汚職の関係という大きな論点にも関わって来るが、国によっては政府関係者が犯罪組織から賄賂を受け取り、自らもマネロンに手を染めつつ共生関係を築いている例が少なからずあり、このような国にとっては、マネロンは極力触れられたくないトピックである。このような中で、FATFがこれだけ広範な参画を得るというのは、通常では想定し難い。それが実現したのは、FATFがグローバル金融市場へのアクセスを担保とした、実質的な執行力を有する枠組みであり、そこへの不参加自体が、自国経済に大きな負の影響を及ぼしかねない、という事実に由来する。この点は、FATFの機能の面と併せ、後述したい。なお、実は現在に至るまで、FATF本体はさほど大きい組織ではなく、構成メンバーは拡大して来たとは言え、未だ37か国と2地域機関に過ぎない。しかし、述べたように今日のFATFは、実質的には世界の大半の国・地域が、その策定する国際基準の順守を要請される立場にある。FATFがそのような影響力を拡大してきた方途も、また独特のものである。それを担っているのは、世界9地域において、FATF基準に準拠した地域ごとの「FATF型地域体(FSRB:FATF-Style Regional Body)」と呼ばれる組織である*6。各地域の自発的取組として始まったFSRBは、現在ではFATF70 ファイナンス 2021 Oct.連載還流する 地下資金

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