ファイナンス 2021年10月号 No.671
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1.FATFという不可思議な組織改めてとはなるが、FATFとはFinancial Action Taskforceの略であり、世界の地下資金対策に関して、(1)国際的なルール・メイキングを軸として、(2)それに基づく相互審査、(3)基準達成のための履行支援供与、(4)関連リサーチ業務等の機能を負う組織である。一部で誤解されているようであるが、間違っても、金融犯罪に対する捜査権限などは持っていない。日本では「ファトフ」と発音する場合が多いが、海外の関係者の中には「ファタフ」、或いはローマ字そのまま「エフ・エー・ティー・エフ」のように呼ぶ人もいて、今一つ定まらない。また、この組織にはもう一つ、GAFI(ガフィ)という略称も与えられており、これはGroupe d’Action Financièreというフランス語の呼称から来ている。単に呼称のみならず、FATFの文書の多くが英語・仏語両方で作成され、主要な会議では仏語の同時通訳が付いて参加者はどちらの言語で話しても良いことになっているが、これは、その本部がパリにあるからである。但し、FATFは独立の本部を有している訳ではなく、経済協力機構(OECD)の本部をいわば間借りしている形になっている*1。会議で本部を訪れた際も、入口はOECDと同じ場所を通過することになり、建物の地下フロアに広がる会議場もFATF専用のものがある訳ではない。専担の事務局を抱えているが、その職員達の給与体系等は、OECDのものに準拠している。更に、FATFという名称も日本語では「金融活動作業部会」と訳されるが、通常国際機関に与えられるOrganization等ではなく、「タスクフォース」とは、職場の中にプロジェクトのために一時的に作る、検討チームのような軽い響きである。事実、FATFの組織態様は、一部に流布している「完全無比な超国家主体」というイメージからは程遠く、どちらかと言えばあらゆる意味*1) 中川淳司『経済規制の国際的調和・国際経済犯罪規制の国際的調和(第21回)』貿易と関税・日本関税協会、2006年1月*2) 正式名称は「麻薬及び向精神薬の不正取引の防止に関する国際連合条約」*3) 正式名称は「国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律」*4) 城祐一郎『マネー・ローンダリング罪 捜査のすべて(第2版)』立花書房、2020年、P11 同『現代国際刑事法―国内刑事法との協働を中心として―』成文堂、2018年、P143 同『マネー・ローンダリング罪の理論と捜査』立花書房、2007年、P23*5) 「52.麻薬問題は、危機的なまでの状況に達した。我々は、国内的及び国際的に断固たる行動をとる緊急の必要性を強調する。我々は、全ての国、特に麻薬の生産、取引き及び消費の多い国に対して、麻薬生産に反対し、需要を削減し、更に麻薬取引自体及びその利益の洗浄に対する闘いを進めている我々の努力に加わるよう要請する。 53.従って、我々は、関係フォーラムにおいて次の措置をとることを決意する。(中略)サミット参加国及びこれらの問題に関心を有するその他の諸国からなる金融活動作業グループを招集すること。その権能は、銀行制度と金融機関を資金の洗浄のために利用することを防止するために既にとられた協力の成果を評価すること、及び多数国間の司法面での協力を強化するための法令制度の適合等のこの分野における追加的予防努力を検討することである。この作業グループの第1回会合はフランスにより招集され、その報告は1990年4月までに完成される。」でパッチワーク的な組織である。そしてその成立過程は、地下資金対策の国際的枠組が形成されて来た歴史自体の投影であるとも言える。マネロン規制の、従って広く今日に連なる地下資金対策の一丁目一番地が麻薬との闘いであることは既に述べたが、国際場裡においても、マネロンへの取組みが最初に規定されたのは、麻薬の国際的な取締りに関連する条約においてである。麻薬関連条約は、それ自体として長い発展の歴史を持つが、1980年代初頭から国連等の場で特にマネロン犯罪化への議論が活発化し、1988年に採択された麻薬新条約*2において、薬物収益に係るマネロン行為の犯罪化が義務付けられる。我が国においても、正にこの条約を批准するための国内法の整備として1991年に麻薬特例法*3が制定され、この中で、日本としてはじめてマネロン罪の規定が設けられた*4。前章で紹介した、麻薬犯罪に立ち向かうもう一つの武器であるコントロールド・デリバリーが規定されたのも、この時である。そして、条約採択の翌年である1989年のG7アルシュ・サミットにおいて合意された経済宣言の、二つのパラグラフにおいて、マネロン規制を行う専担機関としての、FATFの設置が合意されることとなる*5。ミッテラン大統領肝煎りのパリ大改造計画の象徴として当時建設されたばかりの、新凱旋門(La Grande Arche)において開催された1989年のG7首脳会議は、その会場名を取ってアルシュ・サミットと呼ばれた。(出典:Coldcreation, CC-BY-SA2.5) ファイナンス 2021 Oct.69還流する地下資金 ―犯罪・テロ・核開発マネーとの闘い―連載還流する 地下資金

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