ファイナンス 2021年10月号 No.671
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ような万能細胞を皮膚や血液や体の細胞から作ることができないか、というかなり大胆なビジョンを掲げました。2000年4月に120名の学生たちが入学し、彼らの前で自分の研究室の宣伝をする機会がありました。スライドを用いて、一生懸命、学生に話しかけたことを覚えています。ただ、基礎研究を始めて10年以上経っていましたので、これは確かにできるなら素晴らしいけれど、非常に難しい。何年かかるか分からないし、10年、20年、30年、もしかしたら一生かかってもできない可能性が高いこともよく分かっていました。しかし、そういうことについては一切話をせずに、これができたらどんなに素晴らしいか、医学にどんなに役に立つか、ということを30分間、学生に滔々と説明し続けました。そうしますと、3名の学生が、騙されたといいますか、見事に大学院生として入ってきてくれました。実は20名ぐらい希望してくれたのですが、私の研究室の定員が3名と決まっていました。彼らは一生懸命、実験をしてくれました。海保さん、徳澤さん、高橋君、私にとっては一生忘れることのできない初めての大学院生です。4. 「植物は万能細胞だらけ」と教えられる彼らとともに、掲げたビジョンに向かって研究を進めていきました。奈良先端科学技術大学院大学には医学だけでなく、植物の研究者や微生物の研究者やビッグデータの研究者などが同じ建物内で活動していて、異分野の研究者と意見の交流する機会が非常に多い素晴らしい大学でした。私も着任早々、いろいろな分野の先生方の前で自分の研究室のビジョンについて話す機会がありました。学生ではなくて研究者が相手ですので、そこでは「この研究はなかなか難しいと思っています」ということを率直に話したところ、セミナーの後、一人の教授が私のところに来られました。その先生は植物の研究で非常に有名な島本功先生で、「山中さん、万能細胞を作ることは難しい、と言っておられましたが、実は植物の世界では非常に簡単ですよ。」とおっしゃったのです。植物は茎をスパッと切ると、そこから、もこもこと細胞が出てきて、その細胞から新しい茎だけではなく、芽や植物のすべての細胞ができるのだと。これが挿し木の原理であるわけですが、これを聞いた時に、それまでの「万能細胞は難しくてなかなかできない」という自分のマインドセットがガラッと変わったことを覚えています。植物で簡単にできるのなら、動物でもできるのではないか、と思うようになりました。島本先生のおかげで、自分で勝手にかけていたブレーキが外れ、そこから一気に研究が進展しました。5.iPS細胞ができた!島本先生のおかげと学生の頑張りによって、何十年かかるか分からないと思っていた研究が6、7年でできました。2006年にはネズミで、翌2007年には人間で報告することができました。4つの遺伝子(Oct3/4、Sox2、Klf4、c‐Myc)の組み合わせを見つけ、これを同時にマウスやヒトの皮膚細胞に外から遺伝子導入すると、数週間かかりますが皮膚だった細胞が万能細胞に運命が変わる、リセットされることを見出しました。この細胞に「induced Pluripotent Stem cell」、Pluripotentは科学用語で多能性、これを人工的に誘導した幹細胞という意味で、この頭文字をとってiPS細胞と名付けました。私が代表して紹介させていただく場合が多いのですが、実際にこのiPS細胞を作ってくれたのは私ではなく、私の研究室の若いメンバーです。私の研究室の最初の学生である徳澤さんと高橋君、そして最初の技術員である一阪さんの3名が立役者です。みんな20代半ばで、こうした若い力でできたのがiPS細胞です。6.京都大学iPS細胞研究所iPS細胞ができる頃には私はちょうど京都大学に移っていましたが、ヒトのiPS細胞ができたということで、当時の京都大学総長である松本紘先生のリーダーシップの下、新しい研究所を作っていただきました。それが京都大学iPS細胞研究所です。英語名がCenter for iPS Cell Research and Application、頭文字をとってCiRA(サイラ)が略称です。50 ファイナンス 2021 Oct.連載セミナー

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