ファイナンス 2021年10月号 No.671
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年かかりました。これは決して特殊な例ではありません。医学研究の成果から実際に患者さんに届くまで20年、30年かかることはよくあります。医学研究の成果が薬となって実用化されるまでとても長い時間がかかること、これが1つ目の課題です。2つ目の課題は、せっかくできた治療薬の価格が高騰していることです。この飲み薬は、恐らくこれは化合物ですので、純粋な原材料費は1錠当たり本当に微々たるものだと思います。ところが、この薬1錠の薬価は日本で5万5千円です。これでも以前よりは安くなりました。これを90錠服用する必要があるので、一人の患者さんの治療に五百万円近い医療費がかかることになります。さらに高額の治療薬がどんどん登場しています。癌関係の新しい画期的な治療薬がいくつも登場していますが、一人の患者さん当たり数千万円の費用がかかるものが複数登場しています。昨年、小児の全身の筋肉が麻痺してしまう先天性の病気(SMA:脊髄性筋萎縮症)に対する画期的な治療薬がアメリカで開発されましたが、一回の静脈注射で2億3千万円という薬価がつきました。このように医学研究の成果がどんどん高額になっています。2.30代で研究リーダーとして独立私は1987年に医学部を卒業して、その後大学院に入り直して研究者への道を歩みました。1993年にアメリカのサンフランシスコに留学して3年強、滞在しました。このサンフランシスコでのトレーニングが今の私の研究者としての、本当の意味での基礎になっています。1997年に帰国して、1999年に奈良にある奈良先端科学技術大学院大学に採用されました。私は37歳で自分の研究室をリーダーとして持たせてもらう、独立させてもらうという非常にありがたい機会に恵まれました。最近では30代で独立することは、それほど珍しいことではなくなってきましたが、1990年、2000年頃、30代で独立できるということは非常に幸運であったと思います奈良先端科学技術大学院大学は素晴らしいキャンパスもありますし、京都大学や大阪大学、東京大学から若手の研究者を教員として採用するという活気ある大学です。3. 魅力的なビジョンを掲げて学生を勧誘着任して最初に直面した問題は、私の弱小研究室にどうしたら大学院生が入ってくれるのか、ということでした。人気のある教室にはたくさん優秀な大学院生が集まる一方、人気のないところには全然入ってこないという厳しい状況で、選ぶ権利は学生たちにあるというシステムでした。私は若く、無名で、大した業績もない、研究費もそれほどない。これは困ったな、と頭を抱えました。すぐには有名になれませんし、業績も上がらない、研究費も増えないのですが、すぐにできることが一つありました。それは魅力的なビジョンを掲げるということでした。研究室の明快な目標を掲げることができたら、それに魅力を感じて学生たちが入ってくるかもしれないと思い、ビジョンを一生懸命に考えました。その時に考えたビジョンが今の研究であるiPS細胞につながるビジョンです。当時アメリカでES細胞という万能細胞が開発され注目を浴びていました。最初はネズミでしたが、1998年には人間でもES細胞が開発されました。ES細胞は受精卵から作る万能細胞です。受精卵は私たちの体のすべての細胞を作り出す能力がありますが、ES細胞も同じように、ES細胞という1種類の細胞から体中のありとあらゆる細胞に変わる万能性があるため万能細胞といわれるわけです。ただ、人間のES細胞を作るためには、人間の受精卵を使う必要があるため、倫理的な観点から反対する立場の方も多く、日本でもなかなか使えないという状況が今も基本的には続いています。そこで私たちの研究室のビジョンとして「ES細胞と同じような万能細胞を受精卵からではなく、大人の皮膚の細胞から作ることができないか」ということを掲げることにしました。普通は受精卵やES細胞から皮膚の細胞ができ、心臓の細胞ができ、血液の細胞ができ、となるのですが、皮膚の細胞をタイムマシンのような感じで逆戻しをして、皮膚だった細胞を受精卵に近い状態に戻すことができないか、ES細胞と同じ ファイナンス 2021 Oct.49令和3年度職員トップセミナー 連載セミナー

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